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臆病神がいつの間に憑いたのか

2019年03月12日 13:33

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/12(火) 08:03:24.12 ID:dhtldici
久世三四郎(広宣)は禄五千石、鉄砲百挺、与力三十騎の頭であった。
元は榊原式部大輔康政の従者であったが(実際には大須賀康高の組下)、旗本に召し出された。

大阪の陣の折、「榊原遠江守康勝は攻口の仕寄りはどのように付けているか、向かいの土手を
取れそうか見て参るように」との命を受け、御使として遣わされた。

久世が馳せ向ってこれを見た所、榊原家の家臣、武功の者共は、久世が今直参と成ったことを心に妬み、
「そこは敵からの鉄砲がきびしく射ち込まれており、危ない故、すぐに帰られよ。」
と言った。

久世は静かに乗り廻って
「昔は榊原家といえば、城方と寄せ手の旗先が行き逢うほど近くまで仕寄をしたものだ。
今のこれは、その間が未だ遠すぎないかと危ぶむ。私が昨今まで、貴殿などと肩を並べ膝を組んで
親しんでいた頃には、こんな事はなかったのに、臆病神がいつの間に憑いたのか。
旗本の者たちがこれを聞けばどう思うか。」

こう言ったところ、これに答える者はなかった。

(武将感状記)



715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/12(火) 10:21:29.40 ID:2UbgfmCZ
15年たてばこうなる

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/12(火) 18:22:28.97 ID:K/7K7qpL
榊原康政って秀忠の軍監だから、小田原征伐以降はまともに戦ってないんじゃない?
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    やっぱり三河だ、15年経っても面倒くさい

  2. 人間七七四年 | URL | -

    多分これ三河以外でもそんなもんだよ
    田舎者って1度出て行った人間を決して受け入れないし

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >>久世が今直参と成ったことを心に妬み、
    こんな態度だからこの人達は選ばれなかったんでしょ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    仕寄りよりもさらに城に近づいた位置にまで行ったのかな?

  5. 人間七七四年 | URL | tKQf3S82

    そもそも榊原康政も陪臣から直参じゃなかったっけ?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    榊原も大須賀も酒井忠尚の陪臣上がりだね
    久世の方は横須賀衆として家康から大須賀家にまとめ預けられた家で与力扱いの方が正しいと思う
    勿論この時期なら与力の方が格上だね
    しかし老中久世家の始祖がこんなに武張った人とは思わなかった

  7. 人間七七四年 | URL | -

    天庵様「疫病神がいつの間に憑いたのか」
    菅えもん「…」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    たしかに、この体たらくは悲しいものがあるが
    15年の平和の賜物でもある

  9. 人間七七四年 | URL | -

    日根野某「厄病神って怖いですね」

  10. 人間七七四年 | URL | j7kPgX2Q

    ウザいOB的なオーラを感じる

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