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池田輝政、晩年に松平氏を賜る

2019年03月14日 16:25

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/13(水) 22:48:15.34 ID:F5e/KcLN
池田輝政、晩年に松平氏を賜る


慶長16年(1611年)3月に池田輝政は、二条城での家康と秀頼の会見に同席したが
次の年の1月に中風を発症し、3月には秀忠が輝政の嫡男の利隆に連日書状を送るほどの重態となった。
8月に快復した輝政は、その報告のために13日には駿府で家康に、23日には江戸で秀忠に拝謁した。

快気祝いで、松平氏を賜り参議に推薦されることとなった輝政は、9月4日には再び駿府で
家康に拝謁し、山名禅高、藤堂高虎が茶会の接伴役をし、家康から歓待を受けた。
17日に輝政は朝廷に参内し、正式に松平氏を称して参議に任じられた。
利隆のほか、家康の外孫にあたる忠継、忠雄は元服と同時に松平氏の下賜を既に受けていたという。
その後姫路へと帰ってきた輝政は、毛利輝元に書状を送っている。


わざと啓上します。先ごろ東から帰ってきました。(祝いの)御使者のこと光栄に存じます。
愚礼になりますが早々に、蝋燭千丁、綿百把ならびに鹿毛の馬一疋を進覧させます。
詳しくは使者に口上を申し含めますので事細かには述べません。恐惶謹言。

                    松   三左
  後十月廿六日             (輝政印判)
   宗瑞様(毛利輝元)人々御中
 
 未だに手が震えているので、勝手ながら印判で失礼します。以上。

――『毛利氏四代実録 考証論断』

年が明けて慶長18年、中風が再発した輝政は1月25日に数え50才で亡くなった。


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    輝元て出家後宗瑞名乗っていたんだなあと思って調べたら、幻庵宗瑞てますますどっかで聞いた事有るような名前が。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    キタジョウの方の北条は毛利支流だしいっそ北条幻庵宗瑞にしてしまおう

  3. 人間七七四年 | URL | -

    賜氏って個人単位なんだ…

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    羽柴氏とかもそうだね、名字をあげること自体が統制の一環だから基本当主と世子のみ
    その他の一族とかは元の名字をそのまま名乗っているはず

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    なるほどねえ、一族の名字を完全に変えちゃうわけじゃなかったのか
    ありがとう

  6. 人間七七四年 | URL | -

    突然の質問お許しを。秀吉政権下で「羽柴姓」を貰っていた人達って、
    徳川政権下では姓を放棄したのでしょうか?
    ちょっと調べても良く分からなかったので。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    細川忠興のように書状で使ってる例がある
    そもそも大坂の陣で滅ぼされたのは「豊臣」であって「羽柴」じゃないし(そもそも羽柴性の大名も徳川方として出兵し戦後も羽柴性通してる)

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    まず関ヶ原後に羽柴を使用しなくなったのは最上義光、里見義康、京極高次、毛利輝元、上杉景勝、佐竹義宣らがいます。改易され没落した大名(宇喜多秀家ら)も羽柴を使わなくなりました。
    大坂の陣までの間に元の苗字へと戻った大名も多いですし、松平姓の下賜により切り替えた大名も結構います。
    そして大坂の陣で豊臣家が滅亡すると元和の始め頃には誰も羽柴を称しなくなりました。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    羽柴姓に興味があるなら黒田基樹氏の「羽柴を名乗った人々」という本がお勧めです

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※7・8・9
    お三方、有難う御座います。助かりました。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    池田はたしか関ケ原後に秀頼より豊臣姓を賜って、豊臣氏になっていたのでそれを消す必要性があったのだろう
    これから豊臣討伐しないといけないからね

  12. 人間七七四年 | URL | -

    豊臣・羽柴の下賜に関する論文をどれか読めば分かると思うけど
    秀吉時代にもらったものをそのまま使い続けているだけで関ヶ原後にもらった訳ではない
    元々豊臣で叙任したので、源氏を名乗るための系図を用意出来なかったのではという説もあるくらい

  13. 人間七七四年 | URL | -

    昔は「豊臣 > 羽柴」みたいな扱いだったけど
    最近は官位のおまけについてくる豊臣より羽柴の方が希少かつ価値が高いと理解されてるね

    ただ豊臣の使用や意識については大名によってばらつきが大きく発給文書に一切使わない大名が多いが印判にまで使う大名も居たりする
    あと関ヶ原後の豊臣使用取りやめも画一的じゃなくて大名自身の名門意識や政権との親疎など理由はいろいろと違う感じ、その後は大坂の陣で決定的に減るけど木下氏は江戸期も豊臣のまま存続してるので、これも羽柴とはちょっと異なる

  14. 人間七七四年 | URL | -

    大分県日出の木下家墓所に
    天保に生まれ慶応に死んだ15代藩主木下俊程の墓があるが
    墓碑に『木下飛騨守豊臣俊程墓』とある。
    徳川幕府滅亡後にはっちゃけたのかも知れんが
    木下家には木下家で思うところがあったんだろう。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    江戸時代に作られて幕府に提出された寛政重修諸家譜でも、日出木下家、足守木下家は豊臣姓を
    名乗っているし、江戸期に豊臣姓は別にタブーではなかった模様。

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