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この両人は隠れ無き武勇の者なり

2019年04月11日 18:15

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/11(木) 17:25:17.16 ID:lNjfT+Y9
加藤清正の先手の大将は、森本義太夫(一久。原注:5千石)・庄林隼人(一心。原注:5千石)・飯田角兵
衛(直景。原注:5千石)・三宅角左衛門(原注:3千石)。

飯田・三宅は普請奉行である。この両人は隠れ無き武勇の者なり。

江戸で評議があって「又者(陪臣)で確かな武勇があるのは誰か」と言った時、「清正家中の飯田角兵衛なり。
高麗で天下の人数を引き回したのは、古今においてこの者である」と言われた。

また、吉村吉右衛門という者も清正家中で武勇の者である。

――『老人雑話』



846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/11(木) 17:31:14.19 ID:lNjfT+Y9
>>845
誤爆orz
いい話でした

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/11(木) 20:45:11.15 ID:LRQ0nIoS
>>846
まあまあ
でもあれだね。勇将の下に弱卒なしというか
清正ってやっぱり凄い
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    飯田覚兵衛って清正死去後に黒田家に転属してたんだ
    加藤家の混乱を抑える気は無かったのかな…
    子孫が福岡藩の中老になったり肥後藩に残った子孫から井上毅が居たり繁栄はしたみたいだね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    一見優秀なのに清正がいなくなった瞬間指示待ち人間の集団になる加藤家臣団ェ…

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    以前管理人さんが書かれたかと思うけど、福島家改易の時は福島家家臣の浪人は引き合い有ったが、加藤家改易の時は加藤家家臣の浪人には引き合い無かったて話有りましたね。
    福島家と加藤家は改易時期が前者が元和五(1619)年、後者が寛永九(1632)年と十数年違うので、仕官需要が違ったのかもしれませんが。(他の改易に伴う浪人も多くて需要と供給のバランスが崩れていたのも有るかと。)

  4. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    清正は自分で仕切らないとすまない質で家臣を育てることが出来なかったとかだっけか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    加藤家が指示待ち集団になったのは、清正死去後に代替わりや退転で家老の顔ぶれが変わったのも大きいでしょうね
    福島家はまだ第一世代が現役だったので、物に古りた家臣が多く即戦力だったので需要が有ったのでしょう
    福島家も正則のカリスマに惹かれて家臣になった人が多いので、正則死去後に改易になったら加藤家並の混乱があったのでは

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