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老人雑話より、蒲生氏郷の逸話まとめ

2019年04月12日 17:54

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/11(木) 20:20:47.89 ID:lNjfT+Y9
・蒲生は近江の士なり。佐々木承禎(六角義賢)の家臣であったが、後に信長に仕え、また太閤に仕えた。

 氏郷は優れた人なり。初めは伊勢松坂で12万石を所領した。それより直ちに会津120万石を領した。
 太閤の時である。この時、40歳ほどなり。

 承禎は近江1ヶ国を領した大名なり。信長に滅ぼされて近江を取られる。承禎の子は四郎殿(六角義治)
 といって太閤の時は咄の者となり、知行2百石なり。蒲生はその家臣だったが、100万石余りを領す。
 伏見などで四郎殿が太閤の御前に侍って退参する時、氏郷は昔を思い刀を持って従われたことがあった
 という。

 蒲生が近江で承禎の家臣だった時は日野を領した。氏郷の父(蒲生賢秀)は頑愚で天性臆病の人である。
 その時の俗間の小歌に、「日野の蒲生殿は陣とさへ云やへをこきやる」と言ったが、この人の事なり。

・小田原開陣の後、太閤が諸将を会して宣うには「会津は関東八州の要地、優れた大将を置いて鎮めなけ
 ればならない地である。各々は遠慮なく所存を書き付けて見せよ」と言った(原注:今はそのような事
 を“入札”という。その頃は“かくし起請”という)。
 
 すると「細川越中守(忠興)が然るべき」という者が10人中8,9人であった。太閤は開き見て曰く、
 「汝らは愚昧も甚だしい。私が天下を容易く取ったのも道理である。この地は蒲生忠三郎でなければ、
 置くべき者なし」と言い、忠三郎を会津に置いた。

・太閤は小田原開陣の後に蒲生飛騨守を会津に封じた。会津は大事の要地なり。そのうえ敵が上野から通
 行して、もし武蔵・相模に事があれば、上野佐野から一檄を伝えて少しも敵を働かせないためである。

・太閤が氏郷を会津に封じた後に氏郷が出仕した。太閤は他事を問わずに曰く「汝は手を良く書けり。謡
 の本を一番書いてくれよ。紙と硯を持って参れ」と宣ったという。君臣心安き間柄なり。

・氏郷はある時に諸士を饗応した時、自ら頭を包んで風呂の火を焼いたという。

・氏郷も日野で2万石の身上なり。太閤は伊勢松坂に15万石を与えた。後に会津100余万石を与えた。

・氏郷の近習の者が氏郷に問うて曰く「太閤以後は関白殿(豊臣秀次)に馬を繋がれるのですか」と。氏
 郷は答えて曰く「かの愚人に従うような者は誰もいない」と。

 また問うて曰く「天下の主たらん者は誰でしょう」と。答えて曰く「加賀の又左衛門(前田利家)であ
 る」と。また問うて曰く「又左衛門が天下を得なければどうなりますか」と。答えて曰く「又左衛門が
 得なければ、私が得るだろう」と。

 東照宮(徳川家康)の事を問うと曰く「この人は天下を得られる人にあらず。人に知行を過分に与える
 器量がない。又左衛門は人に加増を分に過ぎて与える切れ物である。取るであろう人はこの人なり」と
 言ったという。

――『老人雑話』

老人雑話より、蒲生氏郷の逸話まとめ



792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/12(金) 00:09:06.99 ID:gXKzQX1o
利家が家臣に気前のいい器量者?

793 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/04/12(金) 05:35:11.47 ID:2v+tybTJ
>>790
「日野の蒲生殿は陣とさへ云やへをこきやる」

 ('A`) プウ
  ノヽノ) =3 'A`)ノ
  くく  へヘノ


799 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/04/13(土) 17:48:57.53 ID:DhdKHX4V
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1906666
老人雑話はこの国会図書館デジタルで戦前の翻刻本が読めるが
さてどこの部分か読んでみるかな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    名将と言うにはちょっと物足りないレベルの武功(失礼)しかないし元大名でもない利家が秀吉に滅茶苦茶取り立てられてた状況って、当時の人々は納得してたんだろうか…まぁ納得してたから家康の対抗馬と見てた人が多かったんだろうけど
    謎だ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >>蒲生賢秀
    ここにもある親父の悪口は、ド素人が噂話や勝手な想像で語った評価が老人雑話に載った為に罷り通ってしまった
    間違った評価だしね。実際判明している範囲だけでもそんな評価される働きなんて一度も無いし。
    そんな臆病無能の類を毎回安土の留守居役に任命するほど、信長もお人好しでもない。

    >>人に知行を過分に与える器量がない。
    信長・秀吉とその家臣達と出発点が違う徳川家臣団への処遇としては、
    ある程度領地の差が生まれるのは止むを得ないだろうと思うの。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >>2
    まるで蒲生賢秀を見てきたかの様に語られますなぁ…

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    その論で言えばここで語られる全ての武将に当て嵌まる言い方だね?
    何が目的なのかな?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    実は利家の取り立てって秀頼の守役になった時期からなんだよね
    それまでの位置づけは毛利、上杉の下だったのがあっという間に追い越して行った

  6. 人間七七四年 | URL | -

    >>2,>>4
    ド素人が噂話や勝手な想像で語った評価が老人雑話に載った為に罷り通ってしまった
    間違った評価だしね。


    蒲生賢秀の評価がどうこうじゃなくて、本能寺後の蒲生賢秀に対する当時の民衆(下手すりゃ在郷国人衆も)らからの1つの評価・風評を記した資料にこうも上からものを書ける姿勢が凄いね。
    と感じただけのことですよ。目的も何も貴方の文章を読んだ個人的な感想です。おしまい。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    >「細川越中守(忠興)が然るべき」という者が10人中8,9人であった。
    >太閤は開き見て曰く、「汝らは愚昧も甚だしい。私が天下を容易く取ったのも道理である。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    会津に三斎様か
    火薬庫に松明を入れるような人事やね

  9. 人間七七四年 | URL | -

    それ以前に三斎様は関ヶ原の後で「小国でもいいから西国に」と言ってたぐらいだから
    絶対拒否すると思う。となると信雄コースをたどる事になるんでは?

  10. 人間七七四年 | URL | -

    一見利家上げの逸話に見えるけど「ま本命は俺だけどねw」とも取れる

  11. 人間七七四年 | URL | -

    忠興disられてるじゃんって一瞬思ったけど
    あくまで氏郷の方が優れてるってことでいいのかね

  12. 人間七七四年 | URL | -

    鏡も何も※6の方は「凄いね」て言ってるだけじゃん
    偉そうなこと言う割にビクビクし過ぎなんだよ。自信あるのかないのかはっきりしろ

  13. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも利家は信長時代から能登の国持の大身でしょうよ

    そこから、勝家が滅んでその旧領の一部を貰い
    成政が討伐されてその旧領の一部を貰い
    丹羽家が改易されて北陸方面の頭になり

    と、次第次第に上がっていったわけで
    いきなりポンと領地が増えたわけでも無理矢理に引き上げられたわけでもない

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