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阿波国にも公方家あり

2019年04月29日 16:44

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/29(月) 06:53:07.30 ID:vwrP0kNg
公方の大智院殿(足利義視。足利義晴の誤りか)の頃、阿波国にも公方家あり。京と両公方の
ようであった。阿波の公方(足利義維か)が軍を発し、京の公方を攻めに上ることがあった。
打ち負けて阿波へ帰ったという。

老人(江村専斎)が少年の頃(1565年生まれ)は俗の諺に「阿波衆の上りたる様ならん」
と言って、近頃の事のように言っていたという。

――『老人雑話』



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    阿波公方、泡のように、散りぬるを

    なんちゃって

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1殿、何やら山内様の領内で相撲大会が開かれるとの事で、
    是非お越しになって頂きたいと仰せですが…?

  3. 1 | URL | -

    ※2
    土佐は遠いさ〜

  4. 人間七七四年 | URL | -

    平島公方って江戸時代以降冷遇されたりやらかしたりで平民まで没落したらしいけど今でも子孫の人いるのかな?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    Wikipedia情報によると御現在の様子

  6. 人間七七四年 | URL | -

    同じ足利氏の喜連川家との違いはどっからきたんだろ?

  7. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    足利将軍家に血が近すぎる云々じゃなかったっけ?

  8. 人間七七四年 | URL | -

    義昭存命中は義維系の血筋を秀吉が引き立てるわけにもいかんだろうし
    義昭死ぬ頃に秀吉にとって足利の権威には利用価値もなくなってるし、家康体制になるとなおさらだわな。
    ワンチャン義昭追放のタイミングで信長に拾われたらよかったんだが、残念ながら当時は三好の保護下だからなあ

  9. 人間七七四年 | URL | i.xXZzN.

    ※1殿、「泡のごとくに」のほうが字数がよろしいかと。

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