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虎生まれて三日にして牛を食うの機あり

2019年05月08日 17:30

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/08(水) 14:56:44.81 ID:K21g4YNp
徳川家康公12歳、竹千代殿と申し奉る時、中間の肩に御乗りになって五月菖蒲切り(端午の節句に
行うチャンバラごっこ)を見物に御出になられた。一方に人3百ばかり、もう一方には150程なり。

見物の人々はこれを見て「人の少ない方が必ず負ける」と、大勢の方へ立ち寄らない者はいなかった。
そのうちに、竹千代殿を肩に乗せ奉る中間も大勢の方へ立ち寄ろうとした。その時に竹千代殿が仰せ
られたことには、

「どうして我を皆人の行く方へ連れて行くのだ。今叩き合うならば必ず人の少ない方が勝つぞ。あれ
ほど少ない者どもが多勢を軽く思って出張っているのは、よくよく多勢の方を弱く思ったからだ。ま
たは両方が打ち合う時に、多勢で少ない方を助けようと思うこともあろう。いざ少ない方へ行って見
物せん!」

と宣った。御供の者どもは腹を立てて「知らぬことを宣うな!」と言い、無理に大勢の方に留まった。

すると案の如く、打ち合う時に少ない方の後ろから、大勢が駆け付けて新手を入れ替え相手を打てば、
初め大勢いた方は打ち負けて、散り散りに逃げ乱れた。見物の者も我先にと退きふためいた。竹千代
殿は見給いて「言わぬことか!」と宣い、肩に乗せ奉る中間の頭を御手で叩いて御笑いになられた。

『虎生まれて三日にして牛を食うの機あり(大人物は幼少から常人とは違う)』という。この竹千代
殿は今家康と名を呼ばれて“海道一の弓取り”なり。「命長くいらっしゃれば、これぞ後には天下の
主ともなられよう」と、心ある人は言い合ったのである。

――『甲陽軍鑑』

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/08(水) 16:10:28.30 ID:+Am2AbT8
お供失礼だなぁ

902 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/05/08(水) 18:46:13.83 ID:g9xSGGcI
今川に媚びへつらってたから主君を蔑ろにする習慣が出来上がってたのかもな

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/08(水) 23:00:28.25 ID:CCUV0RPK
>御供の者どもは腹を立てて「知らぬことを宣うな!」と言い、無理に大勢の方に留まった。

本多正純「してその者の名はなんと?」
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    嫌な主従だなぁと思ったけど弱小領主のガキンチョとそのお供の関係なんてそんなもんなのかも知れない
    好意的に見れば敷居の低い主従

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この中間は三河者だったのだろうか?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    別に不思議はない。と、思う三河人であった。
    そもそも三河弁って敬語がほとんど無いし。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    矢作川の石合戦の変格バージョンだな。12歳で肩車も妙だ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    実は6回か7回ぐらいベットし続けていい結果が出た時の話だったりして
    家臣も『ま〜た逆張りしてるよ…』って呆れていたらこう言う行動もあるかも

  6. 人間七七四年 | URL | -

    後付け創作臭いと思ったけど、甲陽軍鑑で徳川を無理に褒めはせんよね…

  7. 人間七七四年 | URL | -

    東国大名最強史観

  8. 人間七七四年 | URL | -

    「数的劣勢が明らかなのに踏みとどまってるのは自信あるからだ」て読みは妥当だと思うが。実際の合戦じゃそんなのすぐにはわからないけど

  9. 人間七七四年 | URL | sSHoJftA

    >6
    いやあ、徳川褒め、混ざっていると思うぞ。三方ヶ原あたりとか。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    でもずっと午年の使いっぱ

  11. 人間七七四年 | URL | -

    菖蒲切りのルールがよくわからん。途中から加勢アリって事?その加勢は誰なん?少数側の見物人?それとも隠れていた援軍が元々いたの?
    負けた側の見物人も逃げたって事は、負けると見物人も巻き込まれる可能性があったって事?
    じゃあ何で家康は笑いながら余裕で中間の頭叩いてるん?それどころじゃねーだろ?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも菖蒲切り自体がポピュラーになるのが江戸初期頃だから、創作臭い言われても仕方ない。
    それより以前で主な行事は印地打ちと言う石合戦が主流で、あまりに危なく死傷者多数な為に菖蒲を
    刀に模した菖蒲切りになったのです。それより後に菖蒲を地面に打ち合って音を競ったり、菖蒲太刀
    と言われる木刀を飾るか、それでチャンバラごっこの菖蒲打ちになります。

    ですが、あくまでもポピュラーになったのが江戸初期なので、それ以前は人に因っては「印地打ちから菖蒲切り」
    とセットで行われて、危ないから印地打ちだけ廃止になったと提唱する人も居ます。
    もしかしたら、こっちが正解なのかも?

  13. 人間七七四年 | URL | -

    お供の者「本多作左重次と申す」
    正純「お…おぅ」

  14. 人間七七四年 | URL | -

    >11
    実際の合戦でも
    敵側に寝返っちゃいけないルールなんてないし
    面白がって戦見物してた民衆が巻き込まれて殺されても自己責任だぞ

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