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信玄公御時代諸大将之事

2019年05月12日 16:48

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/11(土) 19:21:19.83 ID:HFu6A9lg
信玄公御時代諸大将之事

御歳増す次第の前に、まずこれを書く。もし反故落散して他国の人がこれを見て、我等の仏尊し(自分
の信じるものだけが尊い)と思われるように書いては、武士の道ではないのである。弓矢の儀はただ敵
味方ともに飾りなく有り様に申してこそ武道である。飾りは女人、あるいは商人の法なり。一事を飾れ
ば、万事の事実がすべて偽りとなるのだ。天鑑私なし。

一、永正12年乙亥の歳に平氏康公誕生。これは小田原の北条氏康のことなり。

一、大永元年辛巳歳、源信玄晴信公誕生。これは甲州武田信玄のことなり。本卦豊。

一、享禄3年庚寅歳、上杉謙信輝虎公誕生。これは越後長尾景虎のことなり。公方光源院義輝公より
  “輝”の字を下されて輝虎と号す。本卦履。

一、天文3年甲午歳、平信長公誕生。これは尾州織田上総守のことなり。本卦蠱。

一、天文7年戊戌歳、北条氏康公の御子氏政公誕生。(原注:一本に「此三人(氏政・氏真・義信)
  本卦の所きれて見えず」とある)

一、同年、今川義元公の御子氏真公誕生。

一、同年、武田信玄公の御子義信公誕生。

一、天文11年壬寅歳、徳川家康公誕生。これは三州松平蔵人公のことなり。本卦大壮。

一、天文15年丙午歳、武田勝頼公誕生。これは信玄四番目の御子、信州伊奈四郎の御事なり。信州
  諏訪頼茂(頼重)の跡目である故、武田相伝の“信”の字を避け給う。信玄公の御跡も15年の間、
  子息太郎竹王信勝が21歳までの陣代と称して仮のことであった故、武田の御旗はついに持たせ
  なさらず、ましてや信玄公尊崇の(原注:孫子)御幡も譲らせ給わず、もともと伊奈にいらした
  時の大文字の旗であった。ただし片時でも屋形の御名代であるからと、諏訪法性の御甲だけは許
  して差し上げなされたのである。

――『甲陽軍鑑』

「きれて見えず」は小幡景憲の筆記だと言われてますね



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    上総"守"って記述されているんだね。当時はあまり拘らなかったのかな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    諏訪四郎ですらないんだよな勝頼

  3. 人間七七四年 | URL | -

    他はザックリなのに、勝頼のところだけボトムズコピペ並みに詳しくなってるのが笑えるな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    勝頼が継いだのは高遠諏訪家らしいな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    そりゃまあ在地名で書くのが一般的だからな
    信康とかも岡崎三郎って書かれる方が多いし

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    当の本人も上総"守"名乗ってしまった事有るからねえ。(すぐ介に直してますが)
    戦国時代は有識故実を伝える家が絶えたり、高位の公家でも知識が怪しい奴いて朝儀を行うのも難儀してますから間違えるのも無理無いかと。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    唐突な長文で紹介される勝頼に草生える

    “信”は完全に避けたんだな
    諏訪だからにしても親父か兄貴から偏諱貰わなかったのなんでだろうと思ってた

  8. 人間七七四年 | URL | -

    本卦が載ってるの面白いね。

    ちなみに各々の運勢はこんな感じ↓
    信玄:「豊」:順調にことが運ぶ。王が降臨される。心配はいらない。真昼どきがよい。
    謙信:「履」:虎の尻尾を履んだが、噛みついてこない。順調にことが運ぶ。
    信長:「蠱」:万事順調にゆく。大河を渡るのによい。吉日は、甲より三日前の辛と、甲より三日後の丁の日。
    家康:「大壮」:占問したことには利がある。

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