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片手綱を達者に覚えてこそ

2019年05月14日 17:30

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/14(火) 02:46:49.63 ID:fYL2tmxB
安房・上総両国の府君である里見義弘公、その一家の正木大膳という者は12,3歳の頃から馬を習う時
に片手綱で乗ることを好んだ。馬を教える者は怒って言う。

「片手綱というのはよくよく馬を乗り覚えて功者になってからのこと。片手綱で御乗りになろうとされる
ならば、未だ鍛錬もなさらずに左様になさるとその身なりも悪くなられます。絶対に片手綱は無用ですぞ」

そのように制すると大膳の申しようは「侍の将たる者は馬から降りて槍を合わせて高名するということは
多くはあるまい。馬上で下知してそのまま勝負を決するならば、片手綱を達者に覚えてこそである」と。

幼心に申したように、大膳は度々馬上で勝負を決した。とりわけ国府台で里見義弘の子息・義高(義堯。
義弘の父)が北条氏康と合戦し、義高は負け給う。この後れ口の時、件の正木大膳は良き侍を一所で8人、
また一所で9人、また一所で4人、日中に以上21人を馬上で切り落として退いたのだという。

――『甲陽軍鑑』



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    チョット特殊例かな、基本有ってこそなのは間違いないんだし
    まぁ戦国の世だとそんな悠長なことを言ってられないから、とにかく実践的に鍛えた方が良いと判断したんだろうけど

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1273.html
    このお話と同じですね
    文字や剣術より兵法を学びたがった項籍の逸話と似ているけど、たまたまなのか拝借したのか

  3. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    頭に義弘公とあるから息子(信茂)のほう話題かと思ったら親父(時茂)のほうだった

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