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と、信玄公は仰せ渡されたのである

2019年05月17日 17:40

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/16(木) 18:22:20.14 ID:ZU05vU4M
百年以来、本当の合戦はさほどない。ただし両度の本当の合戦があるというのは永禄4年酉(1561)の
信州川中島合戦と遠州三方ヶ原合戦、この両度合戦である。

(中略)

しかしながら、(三方ヶ原の戦いは)武田衆ばかりの手柄にあらず。家康衆も信玄公の衆に劣らぬ手柄なり。
その子細は良く働いて勝負を仕り、足並み揃えて逃げないからである。

武田信玄は)「どのように剛の武士が『手柄を仕りたい』と申しても、見崩れで逃げる敵が相手ではこの
ような手柄にはなるまい」とありて、これに付けても家康を「日本で若手の弓取り」と定められ、信玄公が
仰せになられたことには、

「長尾謙信(上杉謙信)と家康の両人は弓取りである。

信長が近江箕作の城を攻め落としたのも家康被官どもの働き故。北近江姉川合戦も信長は3万5千の人数で
浅井備前守(長政)3千の人数に切り立てられ尽く負けたというのに、家康は5千の人数、浅井備前に加勢
した越前の朝倉衆は1万5千だったが、それを家康衆は姉川を押し渡り、無二に掛かって切り崩し、信長の
利運にさせたのは家康が弓矢を強く取る故である。

金ヶ崎発向(金ヶ崎の退き口)の時も浅井が心変わりしたのを聞いた信長は味方を捨て、岐阜へ早々に引き
入った。そのようなところで家康が若狭の敵を切りひしいで、押付を打たれないように致した(信長が追撃
されないようにした)のは家康25,6歳の時分であるが、その時からこのように仕ったのである」

と、信玄公は御先の侍大将衆に仰せ渡されたのである。件の如し。

――『甲陽軍鑑』



927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/16(木) 20:09:45.63 ID:F9IKVgUD
どういう理屈だw

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/17(金) 17:43:16.02 ID:CnyBPqKP
野戦という、総大将が知恵を絞った陣形で勝負が決せられる戦さしか認めない!
という軍学脳かと思った

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/17(金) 19:41:33.27 ID:sfWLld3+
足並みがそろってないことをそろってることよりageてるの草
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    軍鑑はなぜこんなに家康が好きなのか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    そりゃ家康の株が上がれば自動的に信玄の株も上がるし

  3. 人間七七四年 | URL | -

    しろう「明日もう一度来てください。
        本当の合戦がどんなものか教えてやる。」

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    ~翌日~

    シロー「撃ち続けろ!銃身が焼け付くまで撃ち続けるんだ!!」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    そして全弾外すんですね、わかります

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    最終的に武装が刀しかなくなって「体は剣で出来ている…」とか言い出すというオチ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    (岸部)シロー=最後は沙悟浄として天竺まで取経の旅をするのか・・・

    戦国の世だと「戦いは数だよアニキ」の通りには行かない事がままありますね?
    やっぱり士気とか忠誠心とかの差かな?

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    有利な方が乱取りを始めてしまい大逆転されるのは定番だね

  9. 人間七七四年 | URL | -

    >足並みがそろってないことをそろってることよりageてるの草

    どういう読解力だよ・・・

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