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阿波国三好之系図

2019年06月06日 15:46

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/05(水) 21:36:25.57 ID:q6z+kKQZ
阿波国三好之系図

三好の元祖は信濃国の小笠原成由(原注:ある説は長房)の後胤である。阿波国三好郡に居住する故、
三好という。

之長

初めは三好主膳正と号し、細川氏に仕えて後に筑前守と号す。三好に在城す。

三好が天下に名を顕したのは文明の頃。北国勢が2万余騎で都へ攻め上ったのを、細川が対陣の時に
三好は3千騎で先駆けして洛外で合戦した。

北国勢の謀には車菱という物を先手の者に1つずつ持たせ、逃げる真似をして道にまき、その菱を敵
に踏ませて、たじろぐところを討ち取ろうとの企みであった。

ところが三好勢が少ないのを見て、「味方の同勢は待てない。先手の勢だけで三好を討ち取れ!」と、
かの車菱を投げ捨てて掛かって来た。

三好は小勢であるといえども、各々が心を一つにして槍の柄を四方竹に拵え、之長の下知に任せ一同
に掛かったため北国勢は敗北したのだが、捨て置いた車菱を踏み立てて慌てふためいた。北国の後陣
も道を塞がれ、助けに来る者が叶わずに見えるところを追い詰めて1万ばかりを討ち取った。

その後また京都の合戦(等持院の戦い)に打ち負けて之長は切腹した。法名・喜雲。

――『阿州将裔記』




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    応仁前後の合戦って撒菱率高い印象がある

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この時代の北国勢って英林とかかな
    その割にはなんか間抜けな負け方だが

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