21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/18(火) 19:54:49.11 ID:XHJKzrW+
「侍は首は取らずとも手柄をせずともそれを言わず、事の難に至っても退かず、主君と枕を並べて討死を遂
げ忠節を守ることを指して、侍と申すのである。
義理・恥を知らぬ輩は物の吟味をしないために、幾度の機会があったとしても1つも関心を抱かない。禄を
もって招く時は、譜代の主君を捨てて二君に仕える輩がいる。そもそも心は物に触れて移りやすいものだか
ら、仮初にも侍道の他は見聞きせずに、朝夕身を慣わしとして武芸を心掛け、たとえ学問をするとしても忠
義と大功を聞き、冑の緒を締めて槍・長柄・太刀を揚げ、天下の難儀を救わんと志すことが侍の役目である。
世間の武士道の教えでは、形はどうであれ「好みはあってもどのような事をもせよ。武士は只々志さえ正道
で武芸を嗜み、勇猛であれば良き武士である」と教えている。これも悪いことではあるまい。しかしながら、
某の家人へ教えることは違っている。某の家人などは、形の好みから武士の正道に入れ。形の好みを見れば、
その人の心根も見える。それは心で好んでいることが外に表れるからだ。言葉もそのようなものである。
例えば烏帽子・狩衣を着ている心持ちと、具足・兜を身に着けている心持ちは皆相違することである。髪の
結い様や衣類の着様、刀脇差の差し様まで手軽く健に嗜み、器物などをあるがままに任せ、諸事を軽くして
激しいことをもって、某の家人の教えとする。合印なくとも某の家人と見えるように嗜むべし。
公家殿や上人の玩びを必ず真似してはならない。大いに禁制とする。武道が甚だ弱くなるものである。それ
よりは三味線に歌は構わないだろう。出家と深く出会えば愚痴になるものである。町人と出会えば利欲にな
るものである。(それらの人々と)密事を語るものではない」
以上の教えに背く家人はすぐに扶持を放し、また首をも刎ねて仕置きを見せるものである。その家中の者ど
もは形の好みから武士道に入れというのが、忠勝(本多忠勝)の常の教えである。
――『鈴林扈言』
「侍は首は取らずとも手柄をせずともそれを言わず、事の難に至っても退かず、主君と枕を並べて討死を遂
げ忠節を守ることを指して、侍と申すのである。
義理・恥を知らぬ輩は物の吟味をしないために、幾度の機会があったとしても1つも関心を抱かない。禄を
もって招く時は、譜代の主君を捨てて二君に仕える輩がいる。そもそも心は物に触れて移りやすいものだか
ら、仮初にも侍道の他は見聞きせずに、朝夕身を慣わしとして武芸を心掛け、たとえ学問をするとしても忠
義と大功を聞き、冑の緒を締めて槍・長柄・太刀を揚げ、天下の難儀を救わんと志すことが侍の役目である。
世間の武士道の教えでは、形はどうであれ「好みはあってもどのような事をもせよ。武士は只々志さえ正道
で武芸を嗜み、勇猛であれば良き武士である」と教えている。これも悪いことではあるまい。しかしながら、
某の家人へ教えることは違っている。某の家人などは、形の好みから武士の正道に入れ。形の好みを見れば、
その人の心根も見える。それは心で好んでいることが外に表れるからだ。言葉もそのようなものである。
例えば烏帽子・狩衣を着ている心持ちと、具足・兜を身に着けている心持ちは皆相違することである。髪の
結い様や衣類の着様、刀脇差の差し様まで手軽く健に嗜み、器物などをあるがままに任せ、諸事を軽くして
激しいことをもって、某の家人の教えとする。合印なくとも某の家人と見えるように嗜むべし。
公家殿や上人の玩びを必ず真似してはならない。大いに禁制とする。武道が甚だ弱くなるものである。それ
よりは三味線に歌は構わないだろう。出家と深く出会えば愚痴になるものである。町人と出会えば利欲にな
るものである。(それらの人々と)密事を語るものではない」
以上の教えに背く家人はすぐに扶持を放し、また首をも刎ねて仕置きを見せるものである。その家中の者ど
もは形の好みから武士道に入れというのが、忠勝(本多忠勝)の常の教えである。
――『鈴林扈言』
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コメント
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私服勤務厳守・染髪・ピアスOK
( 2019年06月19日 23:33 )
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