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唐国諸葛孔明八陣図

2019年06月21日 16:31

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 13:14:15.51 ID:f5pcw5Wk
唐国諸葛孔明八陣図

        八      レ
●魚鱗 ●鶴翼(の) ●長蛇(シ ) ●偃月(半月の図) ●鋒矢(个)

●方ヨウ(“向”の口が山)(〇) ●衡軛 ●井鴈行
                    〇
●春は北に向かう ●秋は南に向かうなり(□)これをもって相を取る口伝あり。
                    △

以上を良く信玄公は伝授なさって、その後工夫をなされて新軍法その他諸法度の仕置きを遊ばし
給う事、これは皆、信玄公と合わせて四大将(上杉謙信・北条氏康・織田信長)いずれもが取り
合いをした故である。

そのため、軍法はまず当代の四大将より始まる。昔はあったとはいえども、尊氏公の四代目の御
時分から連々取り失ったと見える。軍法の儀は(軍法といえば)信玄公・謙信公の両君なれども、
これも3分の2は信玄公より濫觴(起源)する。

当代日本の四大将は御歳増す次第の先に書く。

一、伊豆国平氏大聖院北条氏康公、56歳にて元亀元年10月3日に他界。病死。
一、甲州源氏法性院大僧正武田信玄公、53歳にて天正元年4月12日他界。病死。
一、越国管領入道上杉謙信輝虎公、49歳にて天正6年3月13日に他界。病死。
一、尾州平氏織田右大臣信長公ばかり存生。

――『甲陽軍鑑(品第四十下 石水寺物語)』



29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 13:18:25.83 ID:N0sMwCEt
この陣形のそれぞれがどういう用途で使われるのか解説をきいたことがない

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 17:53:48.61 ID:fa+hDu+v
乃至政彦「戦国の陣形」読むと
甲陽軍鑑で山本勘助は

「軍林宝鑑」という本にある「諸葛孔明八陣の図」として魚鱗 ・鶴翼 ・長蛇 ・偃月 ・鋒矢 ・方 ・衡軛 ・井雁行

を紹介しているが出典とされる「軍林宝鑑」には八陣として
https://i.imgur.com/HpOEclY.jpg
こんな図があるだけで、魚鱗の名前も鶴翼の名前も見えない
単に大将以外の部隊が八つ並んでいるから八陣とされているだけである
もともと「八陣」には
1.上記の諸葛亮による八陣
2.唐代の知識人李善「雑兵書」に書かれている八陣
「一曰方陣 、二曰円陣 、三曰牝陣 、四曰牡陣 、五曰衝陣 、六曰輪陣 、七曰浮沮陣 、八曰雁行陣 」
3.張良が編み出したとされる日本で口伝で伝わっていた八陣
「魚鱗 ・鶴翼 ・長蛇 ・偃月等の陣 」
があり、甲陽軍鑑で山本勘助が言ったとされるのはこの三者の折衷である。
甲陽軍鑑によれば山本勘助は信玄から「お前は書物を四、五冊も読んだのか?」と聞かれた際「一冊も読んでません」と答えていることから
耳学問の知識を適当に言ったのだと考えるべきだろう。
実戦の際は部隊長にそれぞれの陣形の形をあらかじめ頭に入れさせておいて
「飯富殿は○○の陣形を、小山田殿は○○の陣形を…」と指図してすぐに陣形を取れるようにした

のように書かれていて、のちに村上義清が編み出した?兵種別の陣形を謙信も採用し、それが諸国に広がったと、書かれてるから
この八陣が使われていたとしても、山本勘助が諸葛亮が考えたものとして献策したのを信玄が一時的に使っただけ
江戸時代に甲州軍学で八陣うんぬんが基礎知識となっただけだから
どういう用途で使われたか、てのはあまり意味がないかと

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 17:56:45.55 ID:fa+hDu+v
ついでにその甲州軍学でも徳川後期となると八陣の知識は忘れ去られた、とあ?

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 21:01:07.53 ID:M9YcI+sb
日本の狭い平地では役に立たなかったのかしら
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ゲームだと突撃が得意とか防御が得意とか山岳戦に強いとか弓攻撃用とか区別されてるね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも日本の戦国時代の兵制に古代中国の兵法がマッチングするかという話では

  3. 人間七七四年 | URL | -

    戦国の陣形は「車懸」や「八陣」について研究してるから、興味あらばぜひ読んでみてネ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    スレに戦場が狭いとか言ってる奴いるけどそんなに広かったら陣形うんぬんの伝令すら届かんよ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    まあ陣形云々は本場の中国ですら概念に過ぎなかったフシが有る

  6. 人間七七四年 | URL | -

    どうにかして
    同列に語りたいもよう
    信長の野望とかしてるとわかるわー

  7. 人間七七四年 | URL | -

    地図も通信手段もない。俯瞰で配置を確認する手段がない。平坦な地形がない。敵を前にして悠長に組む時間もない。
    せいぜい密集するか散開するか武器ごとに整列するかくらいしか選びようがないと思う。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    領土が広がり、合戦に動員出来る人数が増えるにつれ、大部隊に大まかな指示を出す必要が出た物の具体的にどうしたらいいかわからない!
    となっていた時に勘助が陣形という解決策を持って現れたのではないでしょうか。
    それをそのまま採用するのではなく、日本の地形や武田家の現状に合わせて改変した結果、後世の我々が見たときに思ってたのと何か違う…となったのではないでしょうか

  9. 人間七七四年 | URL | -

    何らかの試行錯誤の形跡なんだろうな>八陣
    欧州ではナポレオンですら方陣を横に厚くするか縦に厚くするかの使い分けで精一杯
    幾何学模様みたいな陣形を組むのはマスゲームみたいなもんで実用には適さなかったろうよ

  10. 人間七七四年 | URL | -

    村上義清って兵種別陣形の考案者だったのか。
    ただ戦いに強いってだけじゃ武田に対抗できた理由にならないもんなぁ。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    孫子にも細かい陣立てとか書いてないと思うし、陣形とか実戦でどれぐらい有用だったんだろうか。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    古代・中世では現実的じゃないし八陣なるものは戦闘そのものじゃなくて
    戦国期の軍配者がやるような祭礼的な行為だったんじゃないかな

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