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相良義陽と甲斐宗運の友情・いい話

2009年02月04日 00:27

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 00:38:58 ID:jTmDSBDf
こんな友情のお話もありますよ「命を賭して友情とお家を守り通した相良義陽のお話」 

南肥後の戦国大名相良義陽と阿蘇家の宿老甲斐宗運は大友方として父の代から親交を深めた盟友であり、阿蘇神社(阿蘇領)と
白木妙神社(相良領)にそれぞれ誓紙を収め不可侵の誓いあった親友であった。しかし耳川で島津が大友を破ったことで事態は
変化する。島津氏の猛攻で相良氏の水俣城は降伏。こんどは逆に島津方はとして相良氏は甲斐宗運と戦うことになったのである。

島津義久からの阿蘇領への出陣命令が下りついに決断を迫られる義陽。宗運と戦えば誓紙の誓いを破り信義・友誼に反する。
一方、義久に逆らえば相良氏の滅亡は避けられない。苦悩する義陽だが戦国大名としてまた、相良家当主として彼が選んだ
道は宗運に戦って彼に討たれることであった。

義陽は出陣にあたり白木妙神社に収めてあった宗運との不可侵の誓紙を焼き捨て詫びこう神官にこのような祝詞をあげさせている。
「今度の出陣は拠所なき儀にて、子孫長久の為に討ち死にをしにいくものである、どうか我が子孫が後世栄えるますように・・・」
そして阿蘇方の堅志田城、甲佐城を攻略し宗運との決戦におよぶのだった。

一方の甲斐宗運だが始めのうちは義陽出撃の報を信じなかった。しかし堅志田城よりの報告でこれが真実であることを知る。
「これまでは義陽が島津を防いでいたので阿蘇家は安泰だったが、もはや誓紙を破ること是非もない。
神罰により両家とも滅亡し、九州はやがて島津のものになるだろう。」と言って阿蘇神社の誓紙を神池に沈めさせて出陣する。

決戦の地、肥後響野へ着陣した義陽。この響野は四方が開けた守りにくい土地であり、はじめ宗運は義陽が響野に着陣したとの
報告を「それは義陽の陣法とは思えぬ」と言って信じなかった。やがてそれが真実と知り「さては相良の命運も尽きた。自ら」
死地を選んだとしか思われぬ」と義陽の心中を察し天を仰いだという。

戦いは事前の予想通り、宗運の圧勝に終わる。義陽は床几に腰掛け団扇を握りしめたまま、刀を抜くこと無く討ち死にしている。
また義陽に従い出陣した相良勢は1000名のうち400名が討ち死にするというありさまであった。しかしこの相良勢の壮絶な戦いは
島津義久の心を打ち、義陽の子忠房に家督を認め、人吉城を返し義陽戦死に対する感状をも与えている。

こうして鎌倉以来の名家相良家は幕末まで存続。一方、宗運は義陽戦死にあたり「相良を失い阿蘇家も3年うちに滅亡するだろう」
と言い義陽の命運を祈る。その後、宗運の言通り阿蘇家は島津氏の猛攻に合い、3年の後に滅亡するのであった。 




196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 03:21:53 ID:nzTiYOE5
>>195
この話か…
どっちもカッコヨス

義陽って意外と周囲からの高評価の逸話多いよな

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 06:54:39 ID:cBiJ3DG8
確か、甲斐宗運が亡くなった後に阿蘇氏は滅亡してるんだよな。




関連
相良義陽と甲斐宗運の友情、宗運側の史料では
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2330.html

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