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信玄公御座なくば家康を信長ころし候はん

2019年06月30日 15:09

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/30(日) 14:09:52.24 ID:sks/4Xkg
一、信玄公の御仕置で、諸々の境目の侍大将衆へ近国・他国の大将の行儀・作法・仕形を聞き出して、
  その次第・善悪ともに一書にして言上致せとのことに付き、ある年に遠州犬居の天野宮内右衛門と
  申す侍大将の所より進上仕った書き付けによると、

  「美濃岐阜の織田信長へ周り1尺の桃3つがなったのを枝折りに仕り、霜月中の10日に上げると、
  信長は差し引きの冴えた名大将で、表面は事を破っても内心では時によって一段と練ったことの多
  き武士でいらっしゃった。

  そのため、桃の大きさに心祝いして1つは信長が召し上がり、また1つは嫡子の城之助信忠へ参ら
  せられ、3つ目を遠州浜松の徳川家康公へ送りなさった。家康は『世の常ならずかたじけない』と
  の返事をなされ、その桃を隠して捨てて家康が食う給うことはなかった」

  この事を天野宮内右衛門は書き付けて上げた。一書の多い中でこれは左程の事ではないと存じてこ
  そ、末にいかにも粗相に書いてあるのを信玄公は御覧になった。その書き付けを御手に取りなさり、
  しばらく目を瞑りなさって後に御目を開いて宣うには、

  「家康は今年きっと30歳ばかりであろう。40歳に及ぶ殊に大身の信長に、五位も増して締まり
  所のある分別だ。

  流石に武士の心遣いなき者ならば、『歳相応に似合わぬ』とも申すだろうが、三河国を治めようと
  19歳から26歳まで8年の間に粉骨を尽くし、戦功の誉れ形の如くなれば海道一番の武士と申し
  ながら、日本国にもあまり多くはあるまい。

  丹波の赤井(直正)・江北の浅井備前守(長政)・四国の長宗我部(元親)・会津の盛氏(蘆名盛
  氏)、若手にはこの家康であろう。

  さて時過ぎたる(旬の過ぎた)この桃を捨てた分別は、出世を考えてこうしたのだ。その出世とは
  年明かば吉事なり。この意味は馬場美濃(信春)・内藤修理(昌豊)・高坂(弾正)はきっと合点
  仕るだろう」

  と宣ったのである。

一、(前略)その中で馬場美濃が申されるには、「家康の身の上について私めは見及んでいる事がある。
  美濃の命を今20年生きて、この考えが当たるか試したい。20年生きれば80に今少しだ。鉄の
  鎖で繋いでも成らぬことを願うている」と言って笑いなさった。

  高坂弾正は申して「家康の身の上を何と馬場殿は考え給うぞ」と問えば、美濃は申されて「流石の
  弾正殿ならば、私めより早く考えがあるだろうに」と言った。すると小山田弥三郎は手を合わせて、
  「御両所の考えを願わくば聞きたい」と頻りに所望した。

  高坂は申して「美濃殿の考えを承りたさに、私めが下座から申そう」と、弾正はすなわち言う。

  「家康は今信長と二世までの入魂により両方が加勢を助け合い、それ故2人は堅固なれども信長の
  敵は上方14ヶ国の間で、信長に国を取られないことを基本として、信長の国へ取り掛けようと存
  ずる武士は1人もなき故に、この如く次第に大身となった。家康はいつまでも三河一国と遠州の3
  分の1なので、ついには家康は信長の被官のようになって、後に祝言は致した(終には家康信長被
  官のやうになりて後祝言は申しつ)。

  信玄公が明日にも目を塞ぎなされば(明日にでも死ねば)信長は安堵して、(かつて)今こそ嫡子
  の城介殿と同じに思うと3つの桃を1つ(家康に)送ったけれども、強敵にして大敵の難しき信玄
  公がおられねば、家康を信長は殺すことだろう(強敵大敵の六ヶ敷信玄公御座なくば家康を信長こ
  ろし候はん)。

  それで大事ないのならば、家康の果報は少々の藪神とは考えなりかねよう」

  と高坂が言えば、馬場美濃は大誓文を立てて「私めもそれなり」と言う。内藤修理も同じく誓文し
  てその通りであった。

――『甲陽軍鑑(品第四十下 石水寺物語)』



53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/30(日) 18:12:33.34 ID:jSCm0gOK
まあ家康の腹のうちは分かるとして
藪神ってなんだろ

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/30(日) 21:32:26.64 ID:lN9ljRxX
>>52
傷んだ桃食べたら命に関わるから食べなかっただけじゃないのん?
それは石田三成の逸話か

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/30(日) 21:53:44.71 ID:sSNhz914
柿じゃねぇんけ?

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/30(日) 22:16:13.98 ID:jK95gmra
TERUから秀吉に贈った桃を旬じゃないからって送り返した逸話があった気がする

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/30(日) 22:39:53.21 ID:SUOfy+Yz
甘いもの好きなノブが桃を貰って捨てるわけがない

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/01(月) 00:20:46.00 ID:fSFnRT/t
森忠政「桃で人死なねーだろJK」
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    それが武田の作風。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    家康をあえて殺すとまで思われてたのはなぜなんだろう

  3. 人間七七四年 | URL | -

    来年の大河でこのネタと明智憲三郎説を使ったりして

  4. 人間七七四年 | URL | -

    また桃か。戦国時代の果物と言うと大抵桃・柿・栗ですね?
    当時はそれ位しか採れなかったのかな?しかも逸話に出るのは桃ばかり。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    瓜系と柑橘系は見た気がするなあ
    あとは葡萄もあったはずだけど逸話では聞かない

  6. 人間七七四年 | URL | -

    山縣ていどでは分かるまいよ
    という皮肉です

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    養蚕はあったんだから
    桑の実は食べていたんじゃない?

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※5・7
    そっか瓜もあったか!でも逸話の果物は桃ばかりだね。中国でも仙人の食べ物は桃だし。
    桃の扱って他よりも上な気がする。一昔前の日本で言うバナナやメロン扱いかも?
    日本の野生種の葡萄はたしか酸っぱい系で、甘い奴は鎌倉時代に甲州で栽培され始めたんだっけ?
    (うろおぼえ)

    忠興「私は桃で仲直りし損ねました」
    忠政「私は桃で氏にました」

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※1

    同じ状況にあった水野信元(対今川用壁の同盟者)が
    徳川が織田の味方になって、今川用壁の用が無くなったら
    だまし討ちして領土召し上げた過去があるから、


    かなぁ?

  10. 人間七七四年 | URL | -

    「俺がノブだったら始末しちゃうけどなw」という自己紹介乙な案件だったりして

  11. 人間七七四年 | URL | -

    藪神=藪蛇 みたいな意味なんじゃないの
    この頃までの「神」って基本、祀らないと崇り起こす厄介な存在でしかないし

  12. 人間七七四年 | URL | -

    藪神は下位の神様のことらしいから「今後も家康が生きていたらそこらの神仏から授かった幸運とは思えないよね」ってとこですかね

  13. 人間七七四年 | URL | -

    三ツ者を使って情報収集してた武田ならではのお話だな

  14. 人間七七四年 | URL | sSHoJftA

    ※9
    水野信元が誅殺されるのは桶狭間の16年も後やぞ…

  15. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    小蜜柑は誰かの逸話にあったような

    あと逸話ではないけど、林檎を貰った礼状を浅井長政が出してるね
    信長の忍で長政が林檎を握り潰していたけど、そういう背景があったんだね

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ノブ「信玄と氏康と家康を招いて桃をふたつ出そう」

  17. 人間七七四年 | URL | -

    謙信「俺は?俺の分は?」
    のぶ「二桃をもって…余計な奴召還しちゃったよ」

  18. 人間七七四年 | URL | -

    ※16
    初手、当然のように2つ取る信玄。
    信長を見る氏康と家康。
    結局6つ取られる信長。

    秀吉「そういうところが甘いんだよな…」

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