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まったく家康は只者ではない

2019年07月02日 17:36

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/02(火) 01:55:04.11 ID:epDKg5+D
ある時、長遠寺の所へもてなしに、馬場美濃守(信春)・内藤修理正(昌豊)・高坂弾正・山県三郎兵衛
(昌景)・原隼人佐(昌胤)・小山田弥三郎、その他各々大身衆が寄り合って1日の雑談があった。

その内、山県三郎兵衛は駿河江尻の城代なので、遠州浜松の家康の噂をよく聞いていて申された。「内藤
殿は関東・安房・佐竹・会津までのことを語りなされ。小山田殿は小田原の近所なので北条家のことを語
りなされ。高坂殿と馬場美濃殿は越後・越中までのことを語りなされよ」とあって、山県は申される。

「さて、家康は義元公討死より以降10年の間、内外の国持ちであるが、駿河の盛りの作法を幼くして見
聞きしたことであろう。信玄公の奉行衆が公事を裁く、その様子に少し似ているようだ。

何であっても公事の落着は目新しいことを聞かないが、それは昨今の家康が国持ちである故で、各々の感
心なさることはまだ10年過ぎてもないことだろう。あの若き家康が申し付けた3人の奉行は、三様の形
儀を言い付けられたと見えて、“仏かうりき・鬼作左・どちへんなしの天野三兵”と浜松で落書が立てられ
たと聞く。

さてまた、ひととせ私めどもが30歳ばかりの時分、信州更科の出家の公事で、武蔵殿と櫻井殿が若き時、
今井殿ばかりが家老で今福浄閑(友清)が中老であったが、4人は歳も形儀も異なっていたのを、奉行に
信玄公は仰せ付けられた。その様子に、これ程の家康が少しずつ似ているのは不思議である」

と山県三郎兵衛が語れば、馬場美濃・内藤・高坂各々は申されて「まったく家康は只者ではない」と言わ
れた。その中で馬場美濃が申されるには、(後略。>>52)

――『甲陽軍鑑(品第四十下 石水寺物語)』



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    家康って焼味噌のせいか信玄にコテンパンにされたイメージが強いけど
    信玄が信長に「頼むからアイツ抑えてくれ」と懇願する程度には頭痛の種だったのよな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ノッブ「知ってた」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    武田の重臣たちは家康のことを評価してたんだなぁ。やっぱ駿河で過ごした日々は大きかったんだな…

  4. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも「あの地域」を「あの連中を使って」「あれだけ治めている大名」が。只者の訳がないと思うの

  5. 人間七七四年 | URL | -

    まあほとんどは信長という後ろ盾のおかげ
    あとは結果論

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    さすがにそれは下に見すぎだと思う
    歴史に対して結果論と言ってしまったら、この世の全ての事象は結果論だし

  7. 人間七七四年 | URL | -

    さすがです家康様

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