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千利休の切腹と石灯籠

2019年07月21日 16:59

千利休   
103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/21(日) 01:13:32.35 ID:tvy6NoWG
千利休の切腹は堺で行うと、秀吉公の御意があり、この時、淀に於いて船に乗るまでの乗物を、
三斎公(細川忠興)と古田織部殿の両人が手配された。利休の内儀がこの時礼を申されたが、
利休は
「もはや、それも要らぬことです。日本国の人々は皆私を知っていますが、このお二人ほどの事は
有りません。」と言った、

切腹を行う堺の屋敷に於いて、四畳半の小座敷で利休は「少しお待ち下さい。」と、炭を直した。
湯がたぎった時に四尺床に腰を掛けたが、勝手方に臂がつかえたので、「この置き合わせではない。」と、
床真中に寄った。

そして「介錯の人々は声を掛けるまでお待ち下さい。もし言葉が出ないようであれば、手を上げて
合図致します。」と言って、脇差を腹に突き立てた。

しかし思うように行かなかったため、また引き抜き、同じ所に突き立て直し、引き回して腸袋を
自在の蛭釘に掛け、そこで介錯があった。古今に無いものであった。

利休切腹の後、秀吉公の後悔は限りないものであった。彼が切腹した後は、秀吉公は釜の形の切紙が
上手く切れず、誰彼にかかわらず切らせたが、御意に入るものはなかった。
蒲生氏郷と三斎公が行かれた時も、「ハァ、一応参りましたというだけの面だ。」と仰せになった。
「たしかにその通りだった。」と、後に三斎公は語られた。

利休が天下一と褒めた石灯籠が有った。利休自身が打ち欠いて、色々に直し、天下無双であると気に入った
ものであった。
その石灯籠を三斎公が所持され、任国が代わる度、丹後に取り寄せ、小倉へ下し、肥後の八代に下し、
現在はまた京へ上らせておられる。そしてこれを大徳寺高桐院に立て置き、三斎公自身の墓標として、
名を彫りつけるおつもりでおられる。「灯明などを灯せば丁度よい。」と仰られている。
少し手軽く見える灯籠で、角々が丸く、大形では無いものである。

(筆者注・現在この石灯籠は細川忠興の墓石として、大徳寺高桐院の墓地に有る。)

(三斎伝書)



104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/21(日) 13:52:30.21 ID:cN9uq2nD
お茶くらい気にすんなよ

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/22(月) 12:12:38.25 ID:umL4DwKU
よく知ってるね
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    三斎様って心を許した相手には情が深いよね
    信長も利休も死ぬまで追慕してる

  2. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    信長には心酔していたでしょ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    へうげの「しぇあらぁ壁ぇ」にも元ネタがあったとは

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3

    それ
    あの漫画、原注を[1]みたいに各コマにつけたら数字いくつまで大きくなるんだろう

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