178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/04(水) 22:33:31.12 ID:Pdzgd4fV
寛永十三年(1636)四月二十五日、六十八歳の伊達政宗は体調の不調をおしての、最後の江戸参府となる途、
政宗の希望にて日光東照宮を参拝する。
将軍徳川家光もこの情報を得ており、旗本・伊丹播磨守(康勝)にその案内を命じていた。
折しも二十五日は公家門跡衆御社参の日でも有り、そのもてなしのため四座の申楽による御能が、本堂の前に
敷舞台を拵え行われていた。
拝殿への参拝が終わると、政宗は伊丹播磨守により奥の院へと案内された。拝殿より左、五十四、五段の
石段を四回、三十七、八段の石段を三回上ると奥の院と成る。
政宗は最後の階段の、奥の院本堂まで後一段という所で転倒した。長袴のくくりの糸が緩み、足に
まとわりついたためだという。政宗が倒れようとした瞬間、右に伺候していた山路八兵衛、先に立つ形で
左に伺候していた青木忠五郎、そして後ろについて政宗の腰を抱えていた木村宇右衛門(この覚書の作者)が
とっさに政宗の体を支えた。このため大きな怪我はなかったが、左手の親指を石に少し擦り、少々出血した。
(御左の御手の大ゆびのふしを石にて少すらせ給ひてち少出る)
政宗は左手親指の血を懐紙にて拭き取りつつ、伊丹播磨守へここまでの案内に礼を述べ
「公方様(家光)への礼は改めて述べよう、あなたは先に御下向あるべし、我等は心静かに拝し、その上で
下向する。」と言い、伊丹を先に退出させた。
すると政宗は、負傷した指を包ませ、何ともなく四方を眺めながら、こう語った
「御本堂にあがり拝し奉るには及ばない。ここで戻ろう。倒れるはずのない場所で倒れたこと、
指より血が出て汚らわしいこと、日光に参るのもここまであるという、お告げなのだろう」
(御本堂へあがり拝し奉るにおよばず。是より御下向あるべし。たをれまじき所にてたをるる事、
ゆびよりち出てけがらはしき事、日光へも是ばかり参れとある御つげと見えたり。)
こう言うと、政宗は「はらはらと御落涙あそばし」、御暇乞いであるとして、三拝して下向された。
(木村宇右衛門覚書)
伊達政宗の最後の日光参拝についての記録である。
179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/05(木) 08:35:20.55 ID:j+ZEv0M3
>>178
老いてなおかっこいい…
180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/05(木) 08:51:04.22 ID:lXh1fFMP
政宗無駄にプライド高いからな
181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/05(木) 15:25:38.19 ID:VP8PoBEg
政宗の男振りは老いて尚健在なのか
現代の老害達にも見習ってほしい
寛永十三年(1636)四月二十五日、六十八歳の伊達政宗は体調の不調をおしての、最後の江戸参府となる途、
政宗の希望にて日光東照宮を参拝する。
将軍徳川家光もこの情報を得ており、旗本・伊丹播磨守(康勝)にその案内を命じていた。
折しも二十五日は公家門跡衆御社参の日でも有り、そのもてなしのため四座の申楽による御能が、本堂の前に
敷舞台を拵え行われていた。
拝殿への参拝が終わると、政宗は伊丹播磨守により奥の院へと案内された。拝殿より左、五十四、五段の
石段を四回、三十七、八段の石段を三回上ると奥の院と成る。
政宗は最後の階段の、奥の院本堂まで後一段という所で転倒した。長袴のくくりの糸が緩み、足に
まとわりついたためだという。政宗が倒れようとした瞬間、右に伺候していた山路八兵衛、先に立つ形で
左に伺候していた青木忠五郎、そして後ろについて政宗の腰を抱えていた木村宇右衛門(この覚書の作者)が
とっさに政宗の体を支えた。このため大きな怪我はなかったが、左手の親指を石に少し擦り、少々出血した。
(御左の御手の大ゆびのふしを石にて少すらせ給ひてち少出る)
政宗は左手親指の血を懐紙にて拭き取りつつ、伊丹播磨守へここまでの案内に礼を述べ
「公方様(家光)への礼は改めて述べよう、あなたは先に御下向あるべし、我等は心静かに拝し、その上で
下向する。」と言い、伊丹を先に退出させた。
すると政宗は、負傷した指を包ませ、何ともなく四方を眺めながら、こう語った
「御本堂にあがり拝し奉るには及ばない。ここで戻ろう。倒れるはずのない場所で倒れたこと、
指より血が出て汚らわしいこと、日光に参るのもここまであるという、お告げなのだろう」
(御本堂へあがり拝し奉るにおよばず。是より御下向あるべし。たをれまじき所にてたをるる事、
ゆびよりち出てけがらはしき事、日光へも是ばかり参れとある御つげと見えたり。)
こう言うと、政宗は「はらはらと御落涙あそばし」、御暇乞いであるとして、三拝して下向された。
(木村宇右衛門覚書)
伊達政宗の最後の日光参拝についての記録である。
179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/05(木) 08:35:20.55 ID:j+ZEv0M3
>>178
老いてなおかっこいい…
180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/05(木) 08:51:04.22 ID:lXh1fFMP
政宗無駄にプライド高いからな
181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/05(木) 15:25:38.19 ID:VP8PoBEg
政宗の男振りは老いて尚健在なのか
現代の老害達にも見習ってほしい
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コメント
人間七七四年 | URL | -
181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/05(木) 15:25:38.19 ID:VP8PoBEg
政宗の男振りは老いて尚健在なのか
現代の老害達にも見習ってほしい
他人の事どうこう言うてるけど、20年~30年後には自分がその老害になってるんやで。
( 2019年09月05日 22:15 )
人間七七四年 | URL | -
天下に近いおとこが、エライ太鼓持ちだこと。
( 2019年09月05日 23:26 )
人間七七四年 | URL | -
老いを理由にしない、という断固たるものを感じる話しだなぁ。
逆に、こういう根がしっかり残ってるところが警戒される一因になったんだろうなと思う。
( 2019年09月06日 05:27 )
人間七七四年 | URL | -
武人上がりの神様も、赤不浄黒不浄気にするんやろか?
( 2019年09月06日 07:48 )
人間七七四年 | URL | -
政宗は『老害』じゃないかもしれないけど、生まれつきの『基地外』の部分で迷惑かけまくってるからなあ…。
( 2019年09月06日 12:26 )
人間七七四年 | URL | -
足腰が弱って躓いたんじゃなくて急に裾が広がったせいだから
( 2019年09月06日 13:18 )
人間七七四年 | URL | -
太鼓持ちというか歳を重ねると親しい人が去っていってどんなに憎い人でも懐かしくなる
秀吉家康みたいに強烈な個性持った人ならなおさらだろう
しかももう世は太平、政宗も自分の程度を知っているだろうし素直に尊敬していてもおかしくない
( 2019年09月06日 17:03 )
人間七七四年 | URL | -
家を守るためなんだから太鼓持ちでも悪くないと思うけどなぁ
政宗や三成の記事にはアンチが付きやすい気がする
( 2019年09月06日 17:50 )
人間七七四年 | URL | -
※10
それだけ人気があるって事なんだろうね
( 2019年09月06日 18:31 )
人間七七四年 | URL | -
※9
えっ?
( 2019年09月07日 12:10 )
人間七七四年 | URL | -
※8
ちなみに家康の記事には●ンチが付きやすい気がする
( 2019年09月07日 15:26 )
人間七七四年 | URL | -
※11
こ、これは、岡崎のみそだぎゃあ…(´・ω・`)
( 2019年09月08日 01:11 )
人間七七四年 | URL | -
これって原文でも68歳って書いてる?
誕生日を考慮するとそうだけど数え年だと70だよね
( 2019年09月11日 20:51 )
人間七七四年 | URL | -
※13
原文の木村宇右衛門覚書は、新人物往来社から「伊達政宗言行録―木村宇右衛門覚書」 (小井川百合子編)と云う本が1997年に出されたそうで。(現在は絶版)
所有してないから内容は何とも言えませんが、現代語訳じゃ無い様で活字に起こした原文に解説付けた物でその解説文に有った物なのでしょうかね?(それだと現代語訳か。)
( 2019年09月13日 20:09 )
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