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ザビエルの最期

2019年09月21日 15:01

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/21(土) 11:00:09.19 ID:MY/3Tvpu
我がパードレ・メストレ・フランシスコ(ザビエル)は日本より当ゴアに来たりしが、1552年4月17日、
一船に乗りてシナ国へと赴いた。同船にはゴア総督がシナ国王のもとに派遣した大使(ジョゴ・ペレイラ)も
乗り込み、総督はパードレの事を王に依頼させようとしていたのだが、当市より600レグワのマラッカに
到着すると、パードレの旅行は障碍を生じた。すなわち船主にして船長である大使(パードレが使節の
庇陰にて希望の国に入ることを期待し、デウスの次に最も信頼する人である)が、マラッカに滞在することが
必要となったのだ。

パードレは同船において、水夫の他に彼とともに在るのはキリストの愛とキリストのために多くの労苦を
学ばんとする熱心な信者のみであり、パードレ、イルマン、その他現世の必要について彼を助けられる者は
一人も同伴しなかった。

船は広東の市に近いシナの一港(上川)に着いたが、その入国には様々に故障があった。シナにおいては
外国人の入国しようとする者、並びにこれを入国させようとする者に対して重罰が有った。何人もあえて
外国人を入国させようとはしないため、数日間ここに滞在した。パードレはその希望を実現する時をここで
待つことに決し、同港において、異教徒である一商人と交渉し、「自分を広東の市に連れていけば、同国に
おいて甚だ高価である胡椒を大量に与える。」との契約を成し、商人は数日後、再び来て彼を同伴する
予定にて去ったが、我等の主には別に定められた所があり、パードレは熱病に罹り数日中に死したり。

(1554年12月23日(天文二十三年11月29日)付、パードレ・アイレス・ブランダン書簡)

フランシスコ・ザビエルの最期についての報告。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    入国できないまま病死ってすっごい地味に亡くなってたんだな

  2. 人間七七四年 | URL | tKQf3S82

    ここから弟子たちが遺体をゴアまで持ち帰ったというけど、よく腐らなかったもんだよな
    最初に埋葬されたとき石灰を詰めたのでいい感じに水分が抜けてミイラ化できたのかな?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    米2
    聖人なので腐乱などしないのです
    デウスのご加護です

  4. 人間七七四年 | URL | -

    随分前のことだけど、ザビエルの片手のミイラが
    日本に来た時に見たことはある。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    そのザビエルさんの腕はパリで学生だった時にテニスの元になるスポーツにハマっていて、それで所謂テニスエルボーになった様な変形有るらしい。

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