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我等の友である豊後の王は

2019年09月23日 16:24

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/23(月) 13:21:31.58 ID:CxpARK4j
我等の友である豊後の王(大友義鎮)は、我等の君なる国王(ポルトガル王セバスティアン1世)が甚だ
年少であると聞き(1562年で8歳)、甚だ立派なる短剣で、鞘には金の蛇を巻き、甚だ良き細工の飾りを
施したものを贈り、またインド総督には良き剣を贈るため私に託した。しかしこれらは輸送の途中
暴風に遭ってみな大いに破損したため、修理のため日本に返送した。

当62年にはインド総督に武具を贈った。すなわち、甚だ立派な鎧に絹の飾りを施し金細工をなしたもの、
および頸甲その他付属品、並びに戦争に用いる銅製の面、および兜で金細工をなし装飾を施したもの、
および長刀、すなわち長さ1ブラサ余りの柄に剣を付け、これに装飾を施し銀を鏤めたものであるが、
総督の伯爵(レドンド伯爵ドン・フランススコ・コウチニョ)は大いにこれを喜んだ。国王がこの贈り物を
なしたのは総督ドン・コンスタンチノ(デ・ブラガンサ)が使者を以て書簡を贈ったことに対するもので
あり、同書中には日本に於いてパードレたちが創造主の真の教えを説く事について、便宜を与えたことを
称賛している。マラッカよりこの贈り物を携えた人に、王は700クルザド余りを与えた。

この王は我等の最良の友であり。親愛を示し、好意を以て助言を与え、またキリシタンを庇護し、
必要あって我等キリシタンのために斡旋する事もあれば、身分低き者には名を与え、これを招いて
引見する。名を貰うことは日本人が大いに名誉とする所である。

王はキリシタンである家臣を使いとして会堂に遣わすことが度々有る。当地より送る書簡に、王のことを
”太守”と称することが有るが、当国に於いては自ら低い称号を用いるが、他者からは相当なる名誉を
与えられることが期待されている。

王は先年、略奪を被った博多の国を鎮定するため5万人を派遣したが、もし自ら出陣する時は10万人を
率いるだろう。私が今、日本からの書簡によって見た所、王はほとんど山口の国を占領した。
同国の王であったその弟が殺された故である。
王は戦場に20万の武士を動員することが出来る。王の領内にはイスパニア最大の有爵者よりもさらに大きな
多数の大身が有る。この他にも多数の城主、および部将が有る。

貴族であるカピタン・モール(ポルトガル船の司令官)が貿易のためにその港に来て、王を船内に招いて
饗応した時に、彼はポルトガルの商人達とともに談笑して楽しんだが。カピタン・モールは帽を脱いで
起立すること長時間に及んだ。

(1562年12月10日(永禄五年十一月十四日)付、パードレ・バルデザル・ガゴ書簡)

大友義鎮(宗麟)についての報告。20万動員かー。



206 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/23(月) 13:43:02.15 ID:msBqlvZy
>>205
大本営発表だなぁ…

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/23(月) 23:50:18.30 ID:Pi/XGgC+
宣教師が本国に送る報告書じゃないの

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/26(木) 10:50:53.92 ID:WXP64Q5R
>>205
キリシタン日本からインドまで移動したの?
死ぬわ普通
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    まあ一桁盛っているわなw
    当時の欧州の場合、スペインとかフランスの王の親征で2万位の兵だったかと。(除くオスマン帝国)

  2. 人間七七四年 | URL | -

    奉公人とか小荷駄もコミコミの人数だったりするから戦闘員の数がわかりづらいんだよな
    ヨーロッパだとエスクワイアとかはカウントされてたのかしら

  3. 人間七七四年 | URL | -

    16世紀ごろと欧州でも大規模な会戦だと十万近く出てくるようにはなるよ。
    20万だと難しいが。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    宗麟「朋友」

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