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味方の中に勇士はいなかったのだ!

2019年09月26日 15:56

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/25(水) 18:18:47.04 ID:8prqcSXc
(前略 >>436

去る程に慶長5年(1600)9月12日、石田らは濃州大垣城に籠って岐阜城へ加勢を遣わし、島左近
株瀬川(杭瀬川)へ出して戦の手始めをさせたところ岐阜はたちまち落城し、左近は利を得たけれども味方
は大勢討たれたので三成は驚いて諸将を集め、「この上は関ヶ原まで引き退き、味方の多勢と成り合って広
野において戦せん。如何だろうか」と言う。島津・宇喜多・安国寺らも心臆したのか皆もっともとこれに同
意した。行長(小西行長)1人は知らぬ顔でいたがこれを聞き、怒声をして高らかに言ったことには、

「こは臆したる評議かな! およそ戦の勝ち負けは5度も10度も戦い負けて、1度の勝ちに大利を定める
ものぞ! ましてや日本が2つに分かれて戦うというのに、10度20度の合戦に変わりがあろうか!それ
に味方の負けは岐阜ばかり、株瀬川の戦は大勢が討たれたが軍利を得て大敵を追い払った! さて敵方の負
けは大津城、丹後の田辺、伊勢の津城、伏見城である! これは我らの勝ちではないのか!

東国勢は多しといえど7万5千3百余兵、味方は13万8千6百余人! 敵に若干倍するのではないのか!
それを岐阜落城に物を懲らして逃げ支度する謂れはない! 今ここに有り合う勢をもって敵と戦うのに不足
はあるまい!

それで覚束ないのならば関ヶ原の兵をここへ招き寄せて快く一戦し、万一利が無ければ大坂城に籠り、また
勢を分けて所々の城に籠め置けば、敵は手配りしてこれを攻めることだろう! 多からぬ関東勢を分散させ、
その虚を窺って家康の旗本へ突き入れば、どうして勝利を得ないことか!

また岐阜中納言秀信は生得愚魯の闇将、臆あって勇なし! 弱将の下に強兵無き故、家臣らはまた浄き戦も
せずにたちまち首を伸ばして降参した! これは戦の咎にして天利とするべきではない! それを味方の兵は
臆して敵兵は気に乗ったとこの陣を退くことは後世の謗り、そして今においては戦の損、一方ならぬ誤りで
ある!

私が思うに家康は今日赤坂へ着陣して備は未だ定まっていまい。今夜こちらから逆寄せし、一戦すべきでは
ないか。つらつら思うに家康は広野の合戦に妙を得て、人数を見切り進退し、軍兵を指揮することは誰が雌
雄を争えよう。各々も見給う如く、姉川・長篠・長久手・楽田・羽黒などの戦場で僅かの手勢をもって大敵
を切り崩したその形勢は、神変無双の驍将である。尋常の如くこれと戦してはまったく利はあるまい。

まず今夜、夜討して敵の変化を窺い見て、重ねて術を巡らすべし。ただ運を天に任せて味方の勢を三分し、
一手は家康の本陣へ夜討させ、一手は旗本近き陣を攻め、一手は援兵の通路を断じ、所々の陣々、赤坂の町
屋在家を一同に放火してその変動に従って戦わん!」

と言うが、諸将は聞き入れず。石田は言う。「小西殿の計りは図に当たるといえども、味方の中に二心の者
は大勢いると聞く。しからばこの謀も敵に洩れるのではないか。なまじ夜討して味方の若干が滅びるよりは
速やかにここを退いて味方の大勢と心を合わせ、一戦の功を立てるに如かず」と用いず。行長はまた言う。

「夜討の術が各々の心に入らないのならば、ともかくもここを退いて関ヶ原まで引かれんことは甚だすべき
ではない! 戦の習いで一足でも進むとなれば鼠も虎の威に同じ、一足でも引く時は虎も鼠の如しと言われ
ている。岐阜が落城して味方の兵は気を失い、勇の挫けるところでまたここを退けば敗軍に等しく、ますま
す味方は力を失い、敵は未だ戦わずして勝軍の猛威を振わん! これは敵に勇を付け味方の気を弱めること
なれば、自然と心を変ずる者もあろう。重ねて戦っても利は無い!」

とするが諸将は肯定しない。小西は大いに怒り、座を立って大声で罵ったことには「それほど味方を疑って
は、いずれも戦はできない! 臆病神が付いた以上は百万の勢があろうとも負け戦になろうぞ! 思うに味方
の中に勇士はいなかったのだ!」と、悪口して陣所へ帰った。

石田を初め諸将が行長の奇計を用いず狐疑したのは、家康公が賢慮を巡らされ、敵が大垣へ出張した後にあ
らかじめ伊賀・甲賀の忍功者の輩を敵陣へ多く入れ置いて諸々の説を言わせられ、この流言に驚いて諸将は
互いに隔心し勇気は挫け、皆引く心が付いたのであった。

(後略)

――『古今武家盛衰記』

続き
速やかに討死して名を万代に留めよ


444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/25(水) 18:20:33.61 ID:Dlm/oppg
戦犯小西

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/25(水) 18:21:51.54 ID:U38ZVahv
三成って安定択しかとれないイメージ

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/25(水) 18:54:19.25 ID:UhsvF/OK
前線の武将は熱いな
モタモタするより速攻で1回戦って団結した方が良さそう

447 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/25(水) 20:20:18.64 ID:Rn6zhfmt
三成は家康はもとより、同世代のNGMSや市松他東軍諸将連中と比べても前線や陣頭指揮の経験が豊富かって言うとそうでは無いしなぁ…
かと言って総大将としての戦略も…

結局、毛利と小早川が調略されてる時点で詰みよねぇ…

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/25(水) 22:49:49.78 ID:e8AHqd1y
猪武者でも頭良い人けっこういるんだよね
三成は頭に寄りすぎ
融通利かなすぎ

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/26(木) 15:47:14.39 ID:QTP1VGvV
簡単に岐阜を抜かれたのが痛いね
天下の名城だし諸将への動揺が大きかったと思う
態勢を整える為にも一旦下がるのは誰もがやる手法だろうね
伊賀者甲賀者が暗躍してる時点で夜討は効果ないでしょ
看破されて撃退されるのがオチ
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    勇ましいこと言ってるけど石田以上に小西がアホに見えてしまうのは結果が分かってるからだろうか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >>また岐阜中納言秀信は生得愚魯の闇将、臆あって勇なし! 弱将の下に強兵無き故、家臣らはまた浄き戦も
    >>せずにたちまち首を伸ばして降参した!
    これは実際の戦いを見ていないから出来る酷い物言いだな。
    ならどうして秀信を引き入れたんだ?それに美濃方面へ積極的に援軍出せたのか?等など、
    首脳部の責任無視して言うだけなら誰でも出来るよ・・・

  3. 人間七七四年 | URL | -

    秀信さんは福島正則とかいう最強おじさん相手に奮戦してるよね。結果はボロボロだったけど落城後の姿勢も評価されてるし…ちょっとかわいそう

  4. 人間七七四年 | URL | -

    攻城側は籠城側の三倍の兵力が無ければ苦戦必至とか聞いた覚えがあるけど、東軍の岐阜城攻略チームは六倍だったのね…
    そらキッツいわ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    宇喜多秀家「やっぱ夜襲だよね」

    島津惟新斎「やっぱ夜襲だよね」

    小西摂津守「やっぱ夜襲だよね」

    これでどうして夜襲しなかったんだ、っていうね。
    結局、夜襲策は後知恵でしかなくて、後世の筆が自分の推しメンに正解言わせたいだけの、鉄板ネタなのかもしれないね。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    岐阜中納言秀信って信長の孫だよな。
    諸将からこんな扱い受けてたのか・・・そりゃチャンスがあれば武威を示して見返してやりたくもなるだろうよ。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    石田「よし!夜襲でいこう!」
    全員「どうぞどうぞ」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    信長秀吉レベルの武将なら自分の部隊単独で夜襲かけて戦果出してるかもしれん

  9. 人間七七四年 | URL | -

    西軍自体目的バラバラだし、情報戦に遅れ取りまくりで勝つ気あるのってレベルなんだよな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    歴史にもしも~はないってよくわかる話


  11. 人間七七四年 | URL | -

    直近まで朝鮮に何年も出張って実戦経験積んでた将兵の多くは東軍だしなぁ。それに家康麾下の連中相手とかたまらんだろうなぁ
    西軍にも強者がいないわけじゃないけど、大半が調略済みと言う。毛利って何で西軍総大将なんて引き受けたんだか?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    そらテルに野心があったからでしょ。
    外交方針に家中統制が取れていたとも言いがたく、西軍が勝てるならそれに越したことはないんだし。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    西軍こそ朝鮮陣に出陣してた大名ばかりで東軍はむしろ少ないぞ

  14. 人間七七四年 | URL | -

    13
    数えてみたら本戦に参加した大名で朝鮮に渡海したのは西11東9だった。数え間違えはあるかもしれないけど、兵数は西が圧倒的に多かったわ。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    毛利は別としても陣頭指揮官のまとめ役に石田を据えなきゃいけない事情はあったんだろうか。
    五奉行筆頭だからとか事の発案者だからだとか、何かと理由はあるにしても担がれた感がする。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    兵数もそうだけど渡海してた期間とかもまったく違うしね
    文禄の役、慶長の役の両方とも渡海した大名は西国に偏ってるから当然とも言えるけど

  17. 人間七七四年 | URL | -

    純粋に織田家や秀吉子飼い(秀吉軍団)から大名になった人なら東軍の方が多いのでは?
    西軍が経験や兵数多いのは元大名家とか、その家臣出身の方が多いからだと思う。
    経験と言う括りで言えば、何処の大名達だって大なり小なりあるし。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも経験云々を言うなら
    永禄から格上相手と戦い続けて自力で大大名にのし上がった家康がいる時点で勝負にならないんだよな

  19. 人間七七四年 | URL | -

    言うて家康とその軍も小田原以降、10年も実戦してないからなぁ…
    関ヶ原からの大坂の陣の際に世代交代やらで色々言われてるけど、10年実戦らしい実戦してないのも大概だと思うのよね。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    関ヶ原までは実戦経験豊富な幕僚がいたが
    大坂あたりになるとその方々が鬼籍に入ってる人が多いから

    徳川旗本衆の精強さは島津軍も震え上がらせたし

  21. 人間七七四年 | URL | -

    なんと言うか、関ヶ原時で経験云々言っている人達って全然分かっていないなぁ~と。
    経験ってのは積み重ねの知識って意味だから、例え実戦経験無くても知識自体はあるのだから、その間は練兵や
    勉学で今迄の経験を授けることは可能なのよ。問題はその知識を実際の経験へ繋げる機会が有るか無いか。
    もしくは、練兵どころか勉学や教本だけで済ませてしまっているかなのよ。
    (自衛隊見れば勉強と訓練で実戦未経験でも高いレベルを維持できるってのは証明されてるでしょ?)

    だから関ヶ原時は実戦経験豊富な武士も居たから何とかなったし初陣でも練兵である程度のことは出来た。
    所が大阪辺りだと実戦経験豊富な武士は本当に一部で、よくて初陣が関ヶ原だった人達。
    (武将・大名でそれ以前から戦っている人達も当然たくさん居たけど初陣が殆どじゃない?)

    それを物語るのが家康と雑兵達の仕寄せの逸話を見ても、若手が知識はあっても実地は初めてで観ていられない
    って話しでしょう。

  22. 人間七七四年 | URL | -

    ※21
    大体同意
    それまで30年近く戦い続けてきた猛者が10年の平和で全てを忘れるかものかね、と
    ましてや「際限なき軍役」とも言われる豊臣体制で軍事をおろそかにする選択はない

  23. 人間七七四年 | URL | -

    *21.22 加えて徳川は叩き上げで経験もノウハウも他とは段違いだしな。

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