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防戦一方の覚悟を以て望めば

2019年10月28日 17:29

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/28(月) 12:43:00.08 ID:gNYaA4DS
天正17年末になると、秀吉による小田原征伐の動きが、小田原にも伝わった。
北条家中では、北条家の浮沈この一挙に関わる、絶体絶命の時来たりと、心ある面々は眉をひそめ、
手をこまねいて大嘆息しないものは居なかった。

ところが北条氏政、氏直父子はさほど驚く様子もなく悠々として、一族家臣へ向かって
このように言った

「この小田原城は、京から遠く百余里にある。秀吉といえどもそう軽々と兵を動かすこと
かなうまい。しかも小田原の前には、東海第一の難所である足柄、箱根の険がある。
早雲以来五代の臣下が多年守ってきた要害であり、また忠誠なる関東武士があり、知勇備わる
百騎の関東武士は、ゆうに上方の千騎に相当する。

昔、右兵衛佐(源)頼朝公に対して平家の追討軍として、小松三位中将維盛卿が十万余騎の大将として
由井、蒲原まで押し寄せてきた時、彼らは既に関東武士の武勇に恐れすくんでいたため、水鳥の
羽音に驚いて黄瀬川より逃げ帰ったという。
近くは、軍略に長けた上杉謙信、武略縦横の武田信玄らでさえ、城下まで押し寄せてきながら
攻めきれずに退敗した。

そして何たることか、秀吉は卑賤の身より高職に駆け上がり、関西を握ったとはいえ、上見ぬ鷹の
思い上がりである。俗に『凡夫勢い盛んなれば、神仏の祟有り』という。下剋上の天罰は必ず
秀吉の頭上に下るであろう。ことさら不案内な東国に長途の大軍、しかも客戦である。
天険に寄る小田原城を落とすことは不可能であり、また我が城には兵糧弾薬ともに豊富であるから、
五年でも十年でも籠城できる。防戦一方の覚悟を以て望めば、西軍(豊臣軍)を蹴落とした上に、
秀吉を捕虜にすることすら難しくないだろう。」

そう事も無げに大言した。万座の諸士の中には頷いた者もいたが、口を閉じて何も答えず
引き下がった者も少なくはなかった。

(関八州古戦録)



544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/28(月) 12:54:07.32 ID:YseRBnom
信長には土下座外交だったのに…

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/28(月) 17:03:21.45 ID:K9sEKsdv
一度でも上洛して自分の目で見ていれば違う選択肢もあっただろうに

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/28(月) 18:18:32.49 ID:fMj2ZR8Q
>>543
伝聞しかないとこういう感覚になるのも仕方ないのかもしれない
いや家臣はともかく殿様がこれじゃいかんか…

548 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/10/28(月) 21:23:31.12 ID:H3AQXiYY
>>543
> 忠誠なる関東武士があり、知勇備わる百騎の関東武士は、ゆうに上方の千騎に相当する。

「関東武士」「坂東武者」の凄さがイマイチわからん。8尺の樫やら鉄やらの棒を振り回す怪物が本当に実在したなら確かに凄いが、変わり身の早さぐらいしか印象にない。

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/29(火) 08:44:20.62 ID:uskqyWIX
>>548
源平合戦、承久の乱なんかの実績があるからねえ。400年近く前の話だけど。
室町期は関東は関東で別の国という感じだからアレだけど。

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/29(火) 11:24:17.89 ID:BR5Cz2ml
実際東国のほうが軍制も進んでたし。
北条が人数も装備も厳密に定めたシステマティックな軍制やってた頃
織豊系大名なんて「なるべくいっぱい集めて来て!装備はどうでもいいから!」で
実際に軍を編成するまで何人になるか分からない、とかだもん。

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/29(火) 11:42:35.04 ID:iOO0lVvw
>>546
本それ

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/29(火) 15:27:24.32 ID:dAOfI2mW
自分で見ないとわからんもんは確実にあるからな

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/29(火) 16:26:05.31 ID:xu00R6AT
>>550
それ、東国が進んでいたのではなく、北条が進んでいたというお話では?

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/29(火) 23:40:14.08 ID:AuUWSkf2
今川が初めて北条武田がパクッて最晩年の織田がパクってでもすぐ本能寺で後を継いだ豊臣が全国に広げたパターン

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/30(水) 00:50:12.19 ID:6uSaD8pm
>>546
実際に向こうの国を見て、国力が違いすぎて戦争になりません、
という人を臆病者扱いして開戦に突っ走った国がありましたな

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/30(水) 08:07:25.97 ID:/PVLas5q
ローテーションで見学にいってれば変わったかもしれん

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/30(水) 08:45:28.89 ID:ziwIggb6
家久のように日記を書く人がいれば
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    信長に仕方なく従って不利な裁定も受けたのにその信長が直後あのザマだったからかえって秀吉には強気になっちまったのかね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    やっぱり人間、成功例が重なると「やっぱりこのやり方が正しかったんだ」と思うのも当然だからね。
    強敵相手に幾重の城砦群に本城篭城策で跳ね除け続ければ、どうせ秀吉もと思っても仕方がない。
    でも個人的に氏政・氏直親子が忘れてると思うのは、その強敵相手を尽く併合してきた相手だと言う事。
    何時ものやり方が通じる相手と思う時点で、やっぱり油断があったと思う。
    上京した使者の情報をちゃんと精査してきたとはとても思えない。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉が関東より遠い九州に数十万差し向けた後に至って北条指導部の認識が「負ける気せーへん地元やし」だったのは、ちょっとねえ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    実際の北条首脳部がこれほど楽天的だったとは思わないけど、
    結果論としては致命的な読み違えがあったわけで後ろ指差されるのも残当

  5. 人間七七四年 | URL | sSHoJftA

    とはいえ、攻勢に出るとなると、できれば仲介をお願いしたい家康と戦うか、三国峠を越えて上杉と戦うしかないしな…

  6. 人間七七四年 | URL | -

    上手くいけば小牧長久手、悪くても相模伊豆の安堵くらいはと思ったのかなあ
    長曾我部や島津と違って本国を真っ先に直撃される領地構成では後者も無理だったけど

  7. 人間七七四年 | URL | -

    まあ秀吉が北条許す気なんかハナからありませんし
    一戦交えて有利な条件引き出して降伏するしか道はないし

  8. 人間七七四年 | URL | -

    小田原城は城の守りが破られたわけじゃなくて心理攻撃に破れただけだからな

  9. 人間七七四年 | URL | -

    防戦一方の覚悟で敵大将を捕虜にってのも無茶苦茶言ってる気がしないでもない。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    五年十年はいける!と豪語しながら半年ももってないし

  11. 人間七七四年 | URL | -

    日本式に言えば総構えの城市が一般的な海外だと、数年越しの攻囲戦は割と珍しくもなかったけど、小田原は挫けなけりゃどれくらい持久できたらろう?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    北関東東北房総半島から援軍がくるならともかくそんなもんも望めない状況なら持ちようがない

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    小田原は補給が内側から取れるし、攻めると北条の何倍も被害でてるからその気にさえなれば落とせない

  14. 人間七七四年 | URL | -

    籠城の為に集まってた人数を賄うほどの糧が小田原城内だけで生産足りんの?

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    それは論外かと?人の心はそれほど強くありません。特に包囲されて篭城せざるを得ない状態なら尚更です。
    人間、苦境に陥ると心理状態上「討って出たくなる」のです。
    (この辺りは心理学とかでも紹介されているので科学的に実証されてますね)
    そんな状況では、食料についても偏ることが予想される。
    それに補給の大元は、流石に外から持って来ないと維持できない。

    また、篭城すればするほど、自分達の領地が秀吉軍団に占領される訳ですから、篭城中の関東諸氏も絶対に騒ぎ
    出しますよ。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    上方見るというより、すでに他国の状況が聞こえてくるだろうに・・・。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    「私は諸君らを一騎当千の古強者と信仰している。ならば私と諸君らとで百万と一人の軍集団となろう」みたいな言い回しってこの頃からあったのか

  18. 人間七七四年 | URL | -

    どんだけ堅牢な城に篭ろうと飯の心配もあるけど、一番は心理状態でしょう
    実際小田原だって松田家など秀吉の謀略が迫ってきたしね
    (ちょうどセンゴクで正晴と戦ってるけど、どうなるか?)

  19. 人間七七四年 | URL | -

    「とりま、年が明けたら上洛します」
    「は?いますぐ来るって約束だろうがばかにしてんの?」
    「いやまって年が明けたらでいいって言ったじやん~」
    「言ってないし忘れだしいま来いって言ってるし~」
    「いやまって弁明の使者送るから」
    「使者まてないわとうばーつ!」

    この流れ。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    ぶっちゃけ秀吉の勢力って、遠国からはとんでもなく胡散臭く見えたんじゃないかなぁ

    なんだかんだ信長は数十年かけて勝ち抜き、勢力を広げ、権威を高めていったけど
    本能寺であっという間に瓦解分裂して
    卑賎の生まれの出頭人が幼主を担いで重臣同士で勢力争いしていたかと思えば
    わずか三年後には関白になりました、って

    本当に胡散臭いもの

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