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小田原評定

2019年11月05日 16:14

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/11/05(火) 07:08:55.43 ID:nFt8FQ3f
小田原の役の事

小田原の頼りにしていた山中城が一日で落ちたことを知ると、小田原城中の者たちはあっけにとられ、
城の各口を守っていた将兵もただごとではないと動揺した。関東武者ともあろうものがと深く不安に
かられている所に、上方勢の総大将である秀吉が、四月一日未明に三島を出馬し、足柄、箱根を越えて
小田原の城まで後半里という湯元真覚寺に着いたとの報が届いた。

上方勢の先鋒は。すぐに分かれて湯元口、竹ヶ鼻、畑、湯坂、塔ノ峰、松尾岳といった各所より攻めてきた
ため、そこを持ち口とする諸隊は臆病風に吹かれ、未だ敵の姿を見るか見ないかのうちに、片端から
道を開けて小田原本城へ逃げ込んでしまった。

北条氏政父子は改めて急ぎ評定を開き、畑、湯坂、米神辺りまでは出向いて戦うべきかを尋ねた。
これに対し松田尾張守入道憲秀が進み出てこう答えた

「勢いに乗って一気に進んでくる大敵に、気後れのした味方を防戦に出しても所詮負け戦と成るでしょう。
それでは大事な最期の一戦にも負けてしまいます。それより一刻も早く籠城の策をとって守りを固める
ことこそ肝要に思います。後は敵の疲れを待つことです。」

この尾張守の主張に、諸将も奉行頭も誰も異を唱えず、ただ手をこまねいてその意見を聞いている
だけであった。後で人々は「何と情けないことであるか。これでは北条家が滅びるはずである。」と
思いあわせた。

かつて早雲から氏康の時代は、明け暮れに軍事に励み、肝胆を砕き、寝食を忘れ謀を帷幄の中に巡らせた
ものであった。あるいは出て戦って勝利を得、あるいは籠城して兵を休めつつ戦い、この戦国の世に大敵を
四方に受けて、これを凌ぎつつ領民を安寧に置いて養ってきたのである。

それに比べれば氏政父子は器が小さく、ただ先祖の余光の中に生きて、いざという時の虚実の策とて無く、
衆を頼んで己を失い、ただ呆然と事態を見守っているだけであり、これでは国を失っても仕方のないことだ。
「鵜の真似する烏の、水を飲んで死ぬ」という言葉があるが、それに似ている。
だから今に至っても、はかばかしくない評議が「小田原評定」と呼ばれ、笑い話と成っているのである。

(関八州古戦録)

これを見るに関八州古銭録が成立した頃は、「長引いて結論の出ない会議」ではなく、「消極的で内容に乏しい
会議」を小田原評定と呼んだようですね。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | tKQf3S82

    この段階だとまだ東北勢が援軍に来てくれるかも?
    って淡い期待が出来たのかな?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    もしこの期に及んでそんな希望的観測をしてるようなら北条勢は本物の馬鹿ということになってしまう

  3. 人間七七四年 | URL | -

    氏康「いや、俺も籠城ばっかしてたけど…(汗)」

  4. 人間七七四年 | URL | -

    よくある間違った認識に援軍の無い籠城はいずれ落ちるってのがあるけど、実際は落ちずに攻めた側が兵糧不足で撤退って事例の方が多いので、山中条落城時点での小田原籠城は別に間違ってはいない。
    ミスは支城網に人質置きっぱなしにしてたこと。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    西から攻められた時の縦深が足りなすぎるという構造的問題がなあ
    山中城が最前線かつ最終防衛線で抜かれたら即王手がかかるという位置関係の悪さ
    首脳部から山中城に対する過大評価というか希望的観測を感じるのはそのせいかも

  6. 人間七七四年 | URL | -

    平野ばかりの関東と違って箱根というのは最大の難所なので大丈夫と判断したのは間違いではない
    北条も駿河への遠征は難しく捗々しくない結果にいつも終わってる
    山中だけではなく足柄城鷹巣城も一日で陥落し、数日で小田原が包囲されるというのは流石に想定外だったのだろう
    城を落とさずにくればまだしも、力押しで陥落させて包囲されると野戦をしても勝てないと判断するだろう

  7. 人間七七四年 | URL | -

    支城網でたっぷり時間を稼げれば補給が切れて撤退の未来もあったのかね

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    あの軍勢の数々を止める事の出来る城って、それもう各城が小田原城なみじゃないと・・・
    これから未来の大坂城だってあの大軍勢だんだし

  9. 人間七七四年 | URL | -

    無理だろうなあ、事前に用意したのは八か月分だけだけど、その後東北征伐に唐入りまでしてるわけで
    それこそ何年でも戦えてるわけだし

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※7殿
    この支城網は地上に有る限り、太平洋で米軍が取った「飛び石作戦」とか出来る状況じゃないですしね。
    豊臣側も別の街道通っても後ろや側面晒すだけだし、ましてや信玄が浜松素通りした時みたいな状況なら、

    1・あくまでも篭城一点張りなら、北条家から「なに素通りさせてんだ」と叱責間違いなし
    2・一城の戦力なんて高が知れてるから、軍勢に掛かっても返り討ちor城へ付け入りされるだけ
    3・豊臣軍の関東諸城への状況見ても、途中の城を放置するとは思えないから、やっぱり詰んでる

    個人論ですが、北条家の戦術は所詮「今迄の敵への対応」であって、天下へ号令できる軍への対応には
    向いていないと思います。大阪の陣を見ても不利な状況であっても一戦交えて大将首狙う以外に勝機は
    無かったと思います。外交的にも内政的にも。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    米10
    上方では信長の六角攻めや三好三人衆駆逐のように相手に圧倒する兵力で支城網を無視するのがある意味スタンダードになっていましたからね。
    甲州征伐も大軍の前に支城網が役に立たなかった戦いの一つですね。
    支城網が有効なのはあくまで相手の総兵力が本城攻略にギリ足りるかどうかの場合に限られるのが現実です。
    ただ、小田原攻めでは小田原城の力攻め攻略には兵力がたりず、実際はかなり兵糧かつかつだったので秋の実り次第では上方勢は駆逐されかねなかった(秀吉の本陣以外のかつかつぶりはいろんな資料に残っています)。
    結果はそれなりの豊作で、続けて東宝区へ作戦行動取れてますけど、それを山中城陥落時点で判断しろってのはさすがに無理がある。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    仮に豊臣軍側が何らかの理由で撤退しても数年以内にまた来ますしね。
    多分その間に計略の類を使うだろうから、関東勢の切り崩しは間違いないと思う。
    また、逆に北条軍側も篭城や新たな防衛網の構築を出来るだけの兵糧・資材の確保
    がどれだけ出来るか疑問だし、諸将がまた予定通りに参集するかも予測不可能。
    あの軍勢の差を見ても味方しようと思う奴居るかね?

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ナポレオンの成功は城攻めをしなかったこと、
    具体的には進路上の要塞全てに抑えの兵を置いてかつ決戦できるだけの兵力があったこと、
    に支えられているという説を聞いたことがある。
    秀吉は(小田原以外はだけど)全ての城を強攻策で落とすという真逆にも見える戦法だけど、
    大量の兵士が一か所に留まることで生じる兵站の負荷を避けるという一点では通じているね。

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