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小田原城、早川口攻めと豊臣秀吉

2019年11月09日 18:28

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/11/09(土) 12:33:12.19 ID:vMeEitIm
笠懸山に一夜城を築いた豊臣秀吉は、その高台よりつくづくと小田原城を見下ろすと
「北条家五代の間、面々と工夫をこらし修営を加えた名城だけ有って、塁壁高く、
水流は深く掘られ、要害堅固である。」と感心し、これを力攻めすればいかに多くの損害が
出るか、またそれによって敵に利を与える事を悟った。そこで、後はただ長陣を張って
ゆるゆると攻め落とすことだと考えた。

そうして間断なく攻めはするが無理押しをせず、連日鬨の声を上げて敵を脅かし、矢弾を飛ばすことを
一日も怠らなかった。毎日数万の鬨の声と、数千の銃声が山野にこだまして天地を轟かせ、
磯山嵐か沖津風の如く五里十里の間に響いた。それが昼夜を分かたず行われたのである。

しかしながら城中でも、早雲以来累世の恩を被る関東武者四万五千余りが、既に生命を投げ出して
城の要所要所を固め、大筒を仕掛け、盛んに寄せ手に撃ちかけるので、上方勢も城壁に
近づくことが出来なかった。

秀吉は韮山城攻めに加わっていた北畠内大臣(織田)信雄、細川幽斎・忠興父子、福島左衛門太夫(正則)を
呼び戻して小田原城の攻め口に向かわせた。その中より特に細川忠興を呼ぶと

「小田原城の、早川口の松山に敵は砦を築いた。これまで色々と攻撃したがどうにも落ちない。
そなたが計略を以て落とすように。」

と命じた。忠興は「畏まって候」とこれを受け、早速早川口に向かうと、先ず土嚢を用意し、弾除けの
竹束を作って砦へ近づいたが、その夜、たまたま城兵が打って出たのを、忠興の家人がこれを迎え撃って
戦い、敵の首級三つを得た。

翌日、忠興自身が指揮をして。堀際六、七間ほどまで接近した。

その翌日、笠懸山より早川口を見下ろしていた秀吉が、側に在った大谷刑部(吉継)に尋ねた
「遠くの大松の影に夥しい旗が立っている。あれは敵の旗か?」
「いいえ、あれは細川越中殿の旗印でございます。」
「なんと、よくあれほどの近くまで。」
「細川殿はご自身の働きで、今夜にもあの堀を埋めるのだと申されていました。」
「そうか、あれを落とせば今度の城攻めで一番の手柄である。」
秀吉はそう言ってにっこりと笑った。そしてその通り、程なく忠興は早川口の松山砦を落とした。

しかしこのような長陣に成ると必ずこういった事が起こるように、「徳川家康織田信雄はが
敵方に内通して反旗を翻す。」との噂が流れ、これが秀吉の耳にも入った。しかし秀吉は素知らぬ顔を
していた。

そして天正十八年四月十五日のこと、秀吉は突然、先達の案内も立てず近習の侍童五、六人を連れただけで
家康と信雄の陣を訪ねた。当然ながら家康も信雄も秀吉を快く迎え、陣中に酒宴を張った。
鼓、太鼓の音も心地よく、謡も出て、三人は何の拘りもなく歓談し、秀吉は家康、信雄の陣に
夜明けまでのんびりと過ごした。

これ以降、謀反の噂はたちまち霧散し、誰もが安堵に胸をなでおろした。

(関八州古戦録)

秀吉が細川忠興の活躍を促し、また家康信雄謀反の噂を消す、というお話。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    後半部分、ラスボスは本当にこの手の人身収攬が巧みよね。指導者の鑑だわ。
    なのに、これがあとわずか5年でアレになるんすよ…

  2. 人間七七四年 | URL | -

    これ井伊直政が先陣じゃなく秀吉を倒す役をやりたいと言った時のことかw
    家康は三河武士を抑えるの大変だっただろうな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    センゴクで今ちょうどやってるな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    家康「殿!一大事でございます!徳川家康が謀反を起こしました!」を思い出した

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >計略をもって落とすように
    結局力押しで落としてないか?w

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    仕寄せを立てて漸進して堀を埋めて攻略だからまごうことなき正攻法だなw

  7. 人間七七四年 | URL | -

    忠興ここまでハッスルするってことは
    奥方見られでもしたのか

  8. 人間七七四年 | URL | -

    あくまでも戯言の疑問だけど
    この信雄と家康が裏切るって噂を流す計略、本当に裏切ったとしたらこの時期に両者にメリットがあるかな?
    秀吉討てたならまだ良いけど、結局次の天下人って誰だよって争いになるだけだと思うし
    両者の領地も豊臣軍の通り道だから、領地へ帰る事が出来なければ結局路頭に迷うだけじゃないかな?
    (北条家にしてみれば秀吉の脅威を当面排除できれば良いだけだけど、結局大混乱を招くだけだと思う)

  9. 人間七七四年 | URL | -

    斥候「小田原城中ではガラシャ殿の錦絵が流行っておるとの由」
    忠興「なにっ」

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    豊臣本隊153000から徳川家康20000と織田13000が抜けてもまだ120,000と水軍14,000がいるし、支城を攻めてる北陸軍に関東軍も居る。

    豊臣は秀吉隊8,000と秀次隊15,000以外数千の兵の集まりが大半だけど、徳川織田の本拠地と密に連絡取って輜重を断つとか速攻で秀吉の首を取る、北条方と連携キッチリ取るとかしていないと、織田徳川にメリットはほぼほぼ無いに等しいと思う。
    北条方としては、当然メリット大アリだとは思うけど。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    ※8です
    ですよね?どう考えても裏切りの恩恵が少なすぎる。例え伊達家がやっぱりな的な感じで北条家へ味方しても、
    他の北陸勢がどうでるか分らないし、地図上で言えば、織田・徳川両陣営の上方(上野・下野国)から、
    上杉・前田勢が来るだろうから、後ろを突かれる形になると思うし全くタイミングが悪い裏切りになる。
    しかも、豊臣軍が周辺の兵糧買い占めてるから補給も出来ないと言う状況と思われる。

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