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八王子城の戦い

2019年11月14日 18:03

571 名前:1/2[sage] 投稿日:2019/11/14(木) 13:09:38.79 ID:LtK+6vTc
武蔵国多摩郡八王子城の城主である北条陸奥守氏照は、秀吉の小田原征伐に当たり小田原城に籠もり、
八王子城はその留守居として本丸には横地監物吉信、中の丸に中山勘解由家範、、狩野主膳一庵、
山中曲輪には近藤出羽守綱秀らが置かれこれを守っていた。

秀吉は北国の両大将(前田利家、上杉景勝)が八王子城へ向かったことを知ると、木村常陸介重茲を呼び、
過日のこと >>567 もあり、利家、景勝が無理な働きをしないよう、すぐに八王子表へ目付として行くことを
命じた。もしそのような事が有れば諌めるように、との事であった。
木村常陸介には太田小源吾一吉が差し添えられた。

四月二十四日、北国勢は朝駆けで八王子の町へ入るや一気に押し破り、道々あさぎりの中に見張っている
足軽たちを撫で斬りにし城壁へ詰め寄った。そしえ本丸を上杉景勝、中の丸を前田利家が攻めると決め、
また松山城で降伏した木呂子、難波田、金子らを先陣として山中曲輪を攻めさせた。この松山衆はその夜、
夜討ちをかけ、山中曲輪を守る近藤出羽守は奮戦するも討死した。寄せ手も若干討たれたが、敵の首級
三百五十余を得た。これを見た本丸、中の丸の雑兵たちは肝を冷やし、大半が逃げ出した。
城に残ったのは中山勘解由配下の七百余騎と、その手の者僅かに百余人、他に軽卒二百ばかりであった。

中山は城に残った者たちにこう言った
「もしこの中に臆病者が居るなら、それは足手まといに成るだけだ。今のうちに落ちるが良い。
我等は久しく陸奥守(氏照)殿の恩沢に浴する身であり、斬死してもここを去るわけには行かない。
今一度言う。生命惜しき輩は落ちよ。私は少しも恨みには思わない。」

しかし誰も逃げ出そうという者は居らず「生死を共に仕らん。」と、喜び勇んで矢弾を飛ばして
寄せ手に挑み戦った。この攻撃に寄せ手では見る間に死傷者が増えた。この時前田利家は配下の
者たちにこう言った

「先に上州の諸城を落とすといえども、関白殿下になんら功を認めて頂けなかった。されば、今度こそ
降伏を許さず粉骨して攻め殺さねば、何の面目が有って秀吉公に再びまみえようか。
もし首尾ならずんば、我等親子(利家・利長)はこの場において自刃する覚悟である。汝らもよくこの意を
体して忠墳すべし。」

この利家の言葉に、山崎長門守、前田又次郎、青山佐渡守らが先陣を承って金子丸を攻め破った。
ここを守る金子三郎右衛門は山崎長門守の郎党・堀角左衛門が討ち取った。
これと競うように、他の加州勢が中の丸を攻めた。城中からは中山勘解由、狩野主膳らが士卒を下知して
打って出て戦った。この時、前田利長の近習である大音藤蔵は、未だ十六歳であったが真っ先に鑓を入れ
組み討ちして敵の首を取った。続いて雨森彦太郎が高名をした。大音は先に前田利長の勘気を蒙り
蟄居の身であったため、首実検には漏れたが。その日の一番首との事で、勘当が許された。

城方の中山勘解由、狩野主膳らは自身で鑓を合わせ、太刀を抜いて戦ったが、もとより多勢に無勢であり、
衆寡敵せず城中へ引き上げた。加州勢が尚もそれを追って攻め立てたが、秀吉より目付として遣わされた
太田小源吾が誰よりも先に塀へよじ登り城中へ押し入った。小源吾もこの功により、後に秀吉より
豊後国国崎郡杵築城三万五千石を拝領した。

572 名前:2/2[sage] 投稿日:2019/11/14(木) 13:09:57.95 ID:LtK+6vTc
中の丸に立て籠もっていた三百余人は多くが討ち取られ、今や十余人となり、そのうえ皆深手を負っていた。
そこで「今はこれまで」と詰の城へ引き籠もり、そこに避難していた足弱(女子供、老人)達を先に刺殺し、
自分たちも心静かに腹を切った。

前田利家は高地に馬を立てて城方の働きを見ていたが、松井田、松山で降った金子、小岩井達を呼んで
尋ねた「城方の者たちは、やがて斬死するか自害して果てるであろうが、あの中に見知った者は有るか。」
「はい、居ります。一人は中山勘解由と言って、武蔵七党の丹党の末裔で、古来より名のある者です。
もう一人は狩野一庵といって豆州の侍で、元は北条氏照の右筆でしたが、才覚あり数度の戦いで戦功を
成し、出世して一廉の武将となり、今は倅の主膳正に家督を譲り、自身は出家しています。」

利家はこれを聞くと「直ぐに馳せ向かい、その者たちが我等の陣に加わるよう説得するのだ。」と命じた。
金子紀伊守の小岩井雅楽介はすぐに八王子城に駆けつけ城門を叩いたが、何の答えもなかった。
彼らは脇門を押し破って中に入ったが、中山も狩野も、既に自害して果てた後であった。二人は致し方なく、
戻ってこれを利家に伝えた。「惜しむべき武士たちである。」利家はそう、彼らの最後を哀れんだ。

後に、徳川家康はこの八王子城での戦いの様子を聞くと、中山、狩野の忠節に深く感じ入り、関東入国後、
武州辺りを放浪していた中山勘解由の嫡子・助六郎照守、次男の佐介信吉を探し出し、召し出して
旗本として取り立てた。そして兄に勘解由、弟に備前守の名を与えた。今もその子孫は続いているという。
また狩野一庵の息子・主膳正も家康によって取り立てられ、慶長五年の庚子の役(関ヶ原の戦い)では
濃州岐阜表で二番鑓の誉れを立てたという。

(関八州古戦録)

八王子城の戦いについて



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    なーんか、途中からおかしくなってますよ管理人様


    最後の一言、力攻めしといてよく言うわ→前田利家

  2. まとめ管理人 | URL | -

    ※1
    ご指摘ありがとうございます。直してみましたがいかがでしょうか?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    力攻めしといたも何も降伏拒絶しているわけで、
    北条方は誰も降伏せず勇敢に戦い
    前田はその勇敢さをかって取り立てようとしたら見事に果てていたという
    普通に美談でしょう

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >秀吉より目付として遣わされた
    >太田小源吾が誰よりも先に塀へよじ登り城中へ押し入った。

    おいw

  5. 人間七七四年 | URL | -

    大田一吉は歴史小説なんかだと石田三成の息が掛かった官僚ポジとして
    福原長堯とセットで扱われるけど普通に戦国武将っぽいな
    豊臣大名の10万石以下の大名は関ヶ原迄と活動履歴が短い人が多いから良くわからん

  6. 人間七七四年 | URL | -

    戦争に良いも悪いもキレイも汚いもなければ美談もクソも無い。
    と、個人的には考える。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    利家が無茶しないように先に自分が無茶したんだよ、きっとw

  8. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも残敵わずかまで撃滅して掃討作戦の段階なんだから、無茶という状況でもないやで

  9. 人間七七四年 | URL | -

    目付の目付としたら軍功に数えられたとしても微々たるものでしょ。
    天下統一も間近に迫っているし、関東くんだりまで来た以上の元を取らなきゃいけない事を考えたら、太田一吉の行動の切迫感が分かろうというものよ。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    一柳直末なんか討死するまで戦ってるしラストチャンスの意識は絶対あったよな
    朝鮮というボーナスステージがあるとはこの時はまだ確定してない

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    ボーナスステージって戦費だけ嵩んで、陶工連れて来るとか、虎を狩るとか位しか得る物無かったんじゃないですかね?朝鮮出兵は。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    米10 ただ秀吉の頭はすでに海の向こうに意識が行っている
    九州あたりからそういう人事が見えて来るし、伊達政宗をあっさり許したのもそういう理由やし

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    それはその通りなんだが、それでも軍功に目がくらんだ連中にとっちゃ降ってわいたチャンスなわけよ
    大名クラスでも加藤清正とか非常にそういう気配が濃厚だし

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    朝鮮半島なんにもないこと知ってるのは、小西とか宗義智みたいな一部の関係者だけだしな。
    それにきたるべき唐入りのために軍功を積んでおけば、よりお得なポジションで出陣できるかもしれないし。
    とか考えると、次のために今目先の短絡的な行動をとるとか、いかにも秀吉っぽいなと。
    まるでプチ秀吉っつー感じ?

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    苦戦することもなく無双して武功立てられる最高の場所だけどな
    加増された大名も多い

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ボーナスってゲームクリア(日本統一)後にもまだ戦場があった
    おまけステージって感じを表現してるんじゃない?

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※15
    >苦戦することもなく無双して

    そうか?敵対する相手としては朝鮮のみが相手だった出兵当初はともかく、漢城府攻略後に無軌道に各隊が動いた結果や明の参戦後とか泥沼化してるイメージなんですけど…
    後、慣れない風土や水、気候に兵站でもね。

    文禄だけでも約16万が海を渡って20,000〜50000強の死者(主に病死餓死凍死)出てるし、色々な意味はあってもボーナスステージだの苦戦もない楽な戦なんて呼べるかどうか…

  18. ※10 | URL | -

    ※16
    エクストラステージって書いた方が分かりやすかったかな

  19. 人間七七四年 | URL | -

    >>17
    戦死なんてほとんどでない、病死は仕方ないが、餓死や凍死なんてある程度の武士がなる事はない
    勝手についてきた連中や下っ端の郎党衆のみ、
    武士にとってこんないい話ないよ、日本人同士の戦争だと相手もガチで殺しにきてるし、強いから大勢双方死ぬけど、明も朝鮮同様雑魚なので無双状態で武功たてほうだい、石高倍増した大名も少なくない、福島や藤堂などね

  20. 人間七七四年 | URL | -

    このあいだ八王子と滝山城跡に行ってきた
    銘酒「氏邦」て

  21. 人間七七四年 | URL | -

    ノブヤボに文禄慶長の役が実装されたらお得感あるやろ

  22. 人間七七四年 | URL | -

    ※20 銘が渋い…。

    唐入りが対浪人政策の一環だったとしても、従軍する頃には領地に見合った備えしか用意できなかったのではないかな?
    実働力で言えば関東征伐の方が無理にでも大軍を用意して覚えを良くしようとした分、そこを集大成として見る大名が多かったんじゃないだろうか。

  23. 人間七七四年 | URL | -

    >>19
    流石に向こうの気候舐めすぎだろ

  24. 人間七七四年 | URL | -

    >>19

    福島正則が今治に転封なったのは朝鮮より前だし、その後の広島立藩は関ケ原の勲功だろ
    福島が朝鮮の功績で禄高倍増したのって、どこからどこ?
    大体、朝鮮で禄高倍増していたら石田三成に恨み持たないし、三成襲撃事件起こさないし、徳川方について関ケ原東軍に豊臣恩顧武将が着かないだろ。歴史が変わりすぎる


    そもそも蔚山城の戦いで餓死渇死、ってのはよく聞く話だけど聞いたことない?

    なんかどこかの歴史ゲームの日本史でも読んでない?

  25. 人間七七四年 | URL | -

    >>19
    藤堂高虎 慶長役前伊予7万石→役後1万石加増で8万石(1.14倍)
    福島正則 文禄役前11万3千石→役中の1595年、帰国時に秀次事件の後に尾張24万石へ転封?(2.1倍)

    これは文禄の役の功なのかな?

  26. 人間七七四年 | URL | -

    まぁなんだ、横から混ぜっ返すことになるけど
    加藤嘉明が
    淡路15000石→正木10万石へと伸長しているね
    しかも最後は武功でなく継戦主張しただけで37000石加増してもらったりしている

    ボーナスステージかどうかはともかく戦での改易は大友吉統、減封は中川秀成ぐらいで後は加増が多かったと思う。一方、加藤光泰を筆頭に著名な大名で朝鮮の風土が合わず病死したものも少なくなく、そのせいで改易・減封もある
    トータルで見ると大名には損害が大きい役だったとしか

  27. 人間七七四年 | URL | -

    ※24
    福島が尾張に倍増で移ったのは文禄の後です、文禄以外では功績はないです
    福島が石田恨んだとかいうのは創作の部類、秀吉亡き後の主導権争いが原因
    蔚山城の戦いは城に兵糧の備蓄前に攻めてきたので飢餓に陥ってるけど、すぐに援軍によって城の包囲をとかれ、追撃でみな大功をあげている、山口などこの時の武功で大名にまで取り立てられた
    ※25
    藤堂の場合は朝鮮征伐を行うので大名に取り立てられた事例でもあるね
    ※26
    親が病死して子供が幼い場合そのままの相続は認められないケースが多い
    個人に領地が与えられたので、子供では認められない、一時養子になっていた秀秋ですら小早川領の相続は認められなかった
    例外的なケースが戦死、この場合は忠義を示しているのでそのまま認められる事が多い、森家はバーサーカーが領地返上を申し上げていたのに、戦死なので認められた。
    だから事故死したり、鷹狩してて死んだのを戦死と偽って報告した事例すらある

  28. 人間七七四年 | URL | -

    みんな、八王子城の話なんだから、そろそろ元の路線に戻りましょうや?
    これ以上険悪になる前にさ

  29. 人間七七四年 | URL | -

    ジミー加藤も市松も生駒親正や浅野らも小田原に参陣したけど、戦後加増はなかったみたいだが、文禄の役または慶長の役の間でかなり加増されてるけど、単純に文禄慶長の役の功だけじゃなく小田原攻めの功や豊臣譜代と言う事情も含めての加増なのではないかと思ったりもした。
    九州から文禄慶長の役に出兵した地元大名はあまり加増された様には見えないし。

  30. 人間七七四年 | URL | -

    ※28
    どのコメントとは言わないが、多数のツッコミを受ける様な適当だったり中途半端な間違いや実状に即してない事を自信たっぷり断定的に軽々しく書くのをやめてくだされば、場は荒れにくいかと思います。
    他人に言うだけでなく自分も気をつけようと思います。

  31. まとめ管理人 | URL | -

    皆様あまり熱くなりすぎず、落ち着いていきましょう。

  32. 人間七七四年 | URL | -

    ※19
    自軍の兵士が大勢死ねば、自分の家の軍事力や生産力に関わり
    配下の不満も溜まるだろうに
    死ぬのは下っ端で位の高い武将は死なないから大丈夫って
    おいおい正気かよ

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