FC2ブログ

老翁物語の山崎から小牧長久手合戦まで

2019年11月26日 17:17

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/11/26(火) 04:42:36.14 ID:EAOaT5Z9
天正十年六月十三日、明智光秀は山崎にて秀吉公の軍勢が上ってくるのを防ごうと
人数を少々打ち出していた。そのような所に、秀吉公の手勢である羽柴左衛門督(堀秀政)、
中川瀬兵衛(清秀)が山崎の宝寺(宝積寺ヵ)の上に打ち上った。明智の軍勢が山崎の
山八分目程に在った時、早くも秀吉軍の先手は嶺に到着しており、夜が明けるのを待ち受け
嶺よりおろし懸かり、鬨の声を上げて打ち立てた。

明智の者共はたまらず崩れ、勝竜寺城に向けて落ちていった。明智光秀も川を越えて逃げ、
江州坂本城へ向けて落ちて行ったが、山科にて穢多たちが多く出て鑓合いとなり、馬より突き落とされ
相果てた。こうして異議なく秀吉公は本意を遂げ、諸大名衆との関係も大形相調って御在洛になった。

その後、越前の柴田勝家と後取合となり、賤ヶ岳の一戦に勝家は打ち負け、越前は尽く秀吉公の
御手に入った。秀吉公方で鑓の働きで、加藤主計(清正)、同左馬介(嘉明)、糟屋内膳(武則)、
平野遠江(長泰)、片桐市正(且元)、脇坂甚内(安治)、石川兵助(一光)の七人が手柄をなし、
これを七本槍と称した。

上方のことは前後ともに不案内であり、間違っている所も有ると思いますが、お尋ねに背く事も
出来ず、承り及んでいるのはこの様なものです。
(上方之儀前後無案内之儀候條、相違儀も可有候、御尋之旨難背候て、承及所如斯に候。)

この後秀吉公は、徳川家康公との御取合に罷り成り、尾張の小牧にて大合戦があった。秀吉公方の
池田勝入が鑓下に討死、永井右近(直勝)が討ち取った。秀吉公は犬山より撤退し、同国竹ヶ鼻と
申す城を攻めた。ここには織田源吾殿(長益)が家康公方に味方して籠もっていたが、秀吉公の
攻撃がはじまると、源吾殿の懇望によって城を請け取り、源吾殿は京都へと同道された。

(老翁物語)

老翁物語に記される山崎、賤ヶ岳、小牧長久手合戦の模様。「上方のことはよく理解してないので
間違いも有ると思う」と、書いた本人(毛利輝元の右筆であった小田木工丞)が告白しているのが
面白いですね。また賤ヶ岳七本槍から福島正則が外され石川一光が入っているのも興味深いと思います。



611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/11/26(火) 06:59:44.30 ID:cw2k9F3T
>>610
あれっ!?山崎が超地味な話だな
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    福島正則が七本槍としてひとくくりにされるのを嫌がった理由が良くも悪くも分かる

  2. 人間七七四年 | URL | -

    正則は類縁の少ない秀吉にとっては近親レベルだからな
    豊臣政権のプリンスと言ってもいいくらいで槍働きの武者とは格自体が違う

  3. 人間七七四年 | URL | -

    討ち取った拝郷も8万石の大名ですしね
    7本槍の中でもチョット武功が段違いかと

  4. 人間七七四年 | URL | -

    前の本願寺と織田の戦いで毛利の水軍が出張った木津川口の戦いのまとめで、コメ欄に第一次と二次が混同されてるのでは?ってツッコミがあったけど、このまとめで筆者が述べてる通り、誤りがあったのかもね。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    太閤の類縁ってことを抜きにして槍働きの面だけで見ても拝郷と山路討ち取った福島・加藤(清)は別格よな

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/12248-6ebb0285
この記事へのトラックバック