405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/08(日) 13:07:40.75 ID:8cGZA4ia
小田原北条氏に上洛するよう、天正十七年に豊臣秀吉公が命ぜられた所、これを難渋したため、
秀吉公は出馬され小田原を攻め懸けられた。しかし城の守りは堅固であった。
その頃小早川隆景公は小田原に御在陣なされており、秀吉公より御相談を受けた
「私はこの小田原城を攻め崩したいと思っている。ところでそなたの父である元就は、こういった
城の攻略をどのように成されていたのか。」
こうお尋ねに成った所、隆景公は
「御意の趣、ご尤もな事です。このままでこの城を切り崩されること、少しも手間は要らないでしょう。
しかしながら、今後五日から十日の間城を厳しく攻め立て、その上で城内に調略を懸ければ、内部より
その調略に釣れる者が出てきて、この城攻めも落着するのではないかと思います。」
秀吉公はこの通りに指図した所、五、六日の内に北条一家は相果て、小田原攻めは落着した。
(老翁物語)
毛利家にも、小田原城攻めで小早川隆景が秀吉にアドバイスしたという話が伝わっていたのですね。
406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/08(日) 15:55:21.66 ID:SXQBO423
>>405
毛利家じゃないほうが扱い良いのが不思議だ>>342
小田原北条氏に上洛するよう、天正十七年に豊臣秀吉公が命ぜられた所、これを難渋したため、
秀吉公は出馬され小田原を攻め懸けられた。しかし城の守りは堅固であった。
その頃小早川隆景公は小田原に御在陣なされており、秀吉公より御相談を受けた
「私はこの小田原城を攻め崩したいと思っている。ところでそなたの父である元就は、こういった
城の攻略をどのように成されていたのか。」
こうお尋ねに成った所、隆景公は
「御意の趣、ご尤もな事です。このままでこの城を切り崩されること、少しも手間は要らないでしょう。
しかしながら、今後五日から十日の間城を厳しく攻め立て、その上で城内に調略を懸ければ、内部より
その調略に釣れる者が出てきて、この城攻めも落着するのではないかと思います。」
秀吉公はこの通りに指図した所、五、六日の内に北条一家は相果て、小田原攻めは落着した。
(老翁物語)
毛利家にも、小田原城攻めで小早川隆景が秀吉にアドバイスしたという話が伝わっていたのですね。
406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/08(日) 15:55:21.66 ID:SXQBO423
>>405
毛利家じゃないほうが扱い良いのが不思議だ>>342
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コメント
人間七七四年 | URL | -
406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/08(日) 15:55:21.66 ID:SXQBO423
>>405
毛利家じゃないほうが扱い良いのが不思議
TERU「お、俺は殿下の留守を守ってたから…」
( 2019年12月08日 18:26 )
人間七七四年 | URL | -
※1
毛利家本家が京都守護を命じられたのは、ある意味で信頼の置けて一定の兵力が整っている西国大名が毛利家位
しかないからでは?秀吉が毛利に求めたのは、もう十分にある陸戦兵力じゃなく水軍だったろうしね。
それを満たせるのも毛利家しか居ないと思う。
後の西国大名達は大なり小なり動員した方が戦力の割合的には助かるし。
( 2019年12月08日 22:43 )
人間七七四年 | URL | -
※2
そんな本気で書いたつもりは無かったんですが、ネタにマジレスありがとうございます。
秀吉さんは中国攻略の時の縁や年齢の近さ、政治軍事における経験値の高さ、様々な条件的に隆景さんとウマがあったりした面があって輝元さんよりも隆景さんを(相談役として)側に置きたかった(結果的に優遇に繋がる)ってのもあったんじゃないかと思う今日この頃です。
( 2019年12月09日 00:06 )
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