700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 04:46:08.44 ID:W5RrwIWi
三村元親が滅びた後、その子息である勝法師丸と。元親の重臣であった石川久式の子息は、
備前国の住人、伊賀左衛門尉久隆が生け捕り、毛利の本陣へと渡した。
久式の子息は当国井山に送られた。
勝法師丸はこの時八歳であったが、容貌甚だ優れ、手跡は他を超え、これまでは風光雪月、詩歌の会などで
心を慰め、誠に栄華に生を送っていたが、今は敵の陣屋に身をやつしている。
古の後醍醐の王子・八歳宮( 恒良親王)の愛別離苦とそれは変わらないであろう。
つくづくと 思ひ暮して入相の 鐘を聞にも君そ恋しき
と詠まれた言葉の意味も今こそ思い知れるのである。
伊賀久隆が彼を本陣に送った時、総金の扇に古歌を書いて勝法師丸に渡した。勝法師丸がこれを開くと
夢の世に 幻の身に生れ来て 露に宿かる宵の電
と詠まれていた。これを見て「さては本陣に行けば殺されること必定である。脇差を今まで持っていたなら
自害したものを。」と後悔し、その姿は人々に感涙を促した。そして「彼を助けて出家にでも成すべきではないか」
とそれぞれに議していた時、彼は自分の番をする衆にこのように語った
「私は伊賀久隆よりこちらに送られた時、道にて元々の三村家の家人にも行き遭った。しかし彼らは
騎馬のまま乗打をし、君臣の礼儀も失っていた。
私は背かれるような主人であるのだから、このように申すのも恥辱である。しかし前後に歴々の人々が有れば、
これを乗打するのは無礼と成る。各々、いかが思われる。」
これを聞いた者達はみな感嘆し、これを小早川隆景に報告した。隆景は「八歳の子がそれほどの口を実際に
きいたのだろうか」と疑い、また別人に私的に尋ねたが、その通りに語った。
これに隆景は「彼は扶け置けば争いの種子となる事疑いない。」と、誅殺することに決した。
一家滅亡の時節到来なれば、実に哀れに聞こえた。人生が識る事が憂患の始まりと言うが、これは勝法師丸の
事であろう。
石川久式、三村大庭、吉良常陸、同七郎、布施、以下まで死期の働きは目を驚かせるものであった。
或いは組み討ち、或いは刺し違え、二十六日、一同に朝の露と消え失せた。
三村右京進政親父子三人は、作州路より因州へ忍び行ったと聞こえた。
(備中兵亂記)
701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 08:16:22.94 ID:NZQUCl55
優秀な若者は手懐けて配下に加える秀吉には勝てないよな
702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 11:29:48.75 ID:8SrBYOVW
状況が違うのでは?
705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 22:11:43.63 ID:GYSQozTm
三村は好きな大名
三村元親が滅びた後、その子息である勝法師丸と。元親の重臣であった石川久式の子息は、
備前国の住人、伊賀左衛門尉久隆が生け捕り、毛利の本陣へと渡した。
久式の子息は当国井山に送られた。
勝法師丸はこの時八歳であったが、容貌甚だ優れ、手跡は他を超え、これまでは風光雪月、詩歌の会などで
心を慰め、誠に栄華に生を送っていたが、今は敵の陣屋に身をやつしている。
古の後醍醐の王子・八歳宮( 恒良親王)の愛別離苦とそれは変わらないであろう。
つくづくと 思ひ暮して入相の 鐘を聞にも君そ恋しき
と詠まれた言葉の意味も今こそ思い知れるのである。
伊賀久隆が彼を本陣に送った時、総金の扇に古歌を書いて勝法師丸に渡した。勝法師丸がこれを開くと
夢の世に 幻の身に生れ来て 露に宿かる宵の電
と詠まれていた。これを見て「さては本陣に行けば殺されること必定である。脇差を今まで持っていたなら
自害したものを。」と後悔し、その姿は人々に感涙を促した。そして「彼を助けて出家にでも成すべきではないか」
とそれぞれに議していた時、彼は自分の番をする衆にこのように語った
「私は伊賀久隆よりこちらに送られた時、道にて元々の三村家の家人にも行き遭った。しかし彼らは
騎馬のまま乗打をし、君臣の礼儀も失っていた。
私は背かれるような主人であるのだから、このように申すのも恥辱である。しかし前後に歴々の人々が有れば、
これを乗打するのは無礼と成る。各々、いかが思われる。」
これを聞いた者達はみな感嘆し、これを小早川隆景に報告した。隆景は「八歳の子がそれほどの口を実際に
きいたのだろうか」と疑い、また別人に私的に尋ねたが、その通りに語った。
これに隆景は「彼は扶け置けば争いの種子となる事疑いない。」と、誅殺することに決した。
一家滅亡の時節到来なれば、実に哀れに聞こえた。人生が識る事が憂患の始まりと言うが、これは勝法師丸の
事であろう。
石川久式、三村大庭、吉良常陸、同七郎、布施、以下まで死期の働きは目を驚かせるものであった。
或いは組み討ち、或いは刺し違え、二十六日、一同に朝の露と消え失せた。
三村右京進政親父子三人は、作州路より因州へ忍び行ったと聞こえた。
(備中兵亂記)
701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 08:16:22.94 ID:NZQUCl55
優秀な若者は手懐けて配下に加える秀吉には勝てないよな
702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 11:29:48.75 ID:8SrBYOVW
状況が違うのでは?
705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 22:11:43.63 ID:GYSQozTm
三村は好きな大名
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コメント
人間七七四年 | URL | -
毛利家で敵の大将の子を傘下に置いて取り立てた例は元就の影武者をやった、武田宗慶が居るけど、彼も見た目は立派で武田家秘伝の柔の武術に長けてたと言う。ただし安芸武田家の旧領に服する事は出来なかった。
隆景がしっかり養育したらこの子も立派な家臣になった気もしないでもないが、そんなに危惧するほど英明な子だったのだろうか…
( 2019年12月30日 19:07 )
人間七七四年 | URL | -
もともと隆景は対三村政策では極端に冷淡なんで、最初から助けるつもりなんかなかったんさじゃ…
ぶっちゃけ、元親の代になってから宇喜多に押され続けで毛利の支援なければ滅びてたからな、三村家。
毛利のために筑前まで兵を出すくらい従順とはいえ、支配力に疑問符がつくようでは同盟者としては心許ない。一方で宇喜多には勢いがある。天秤に掛けるには十分。
宇喜多と盟約結んだ時点で毛利サイドでは三村をつぶす算段は進んでたと思う。
( 2019年12月30日 19:33 )
人間七七四年 | URL | -
家親当主時代とは情勢も変わってるしなー
少なくとも宇喜多家中は当時は反織田でまとまってるし
( 2019年12月30日 22:16 )
人間七七四年 | URL | -
織田もだけど三好の動向も影響があったと思う
元親は母方で三好と繋がってて浦上と三好は元々同盟関係
毛利にとって浦上-三村-三好と連携されると結構な脅威
宇喜多を使って浦上を潰せれば少なくともこの線はなくなる
( 2019年12月31日 01:17 )
人間七七四年 | URL | -
まさに仁義なき戦い(場所的に)
( 2019年12月31日 11:54 )
人間七七四年 | URL | -
※5
呉や広島市からすっごく遠いよ…
( 2019年12月31日 12:21 )
人間七七四年 | URL | -
播磨 備前あたりはマジでカオスやし
浦上も紛れもない真っ黒で実力者なんだが相手が悪い
( 2020年01月01日 07:34 )
人間七七四年 | URL | -
生きててもクロカンタイプで命に関わる失敗しそう
( 2020年01月06日 21:51 )
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