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長宗我部盛親の改易と、浦戸一揆について

2020年01月03日 16:57

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/03(金) 15:32:01.50 ID:09lJbNmQ
慶長五年霜月の頃であっただろうか、長宗我部元親はこの度、石田三成の企てた逆心に同意し、
濃州関ヶ原を退散して土佐国へ下り、連々と公儀に、井伊兵部少輔(直政)を通じて弁明に
尽くし(使いは盛親家来・立石助兵衛、横山四郎兵衛)、兵部殿より盛親の自国居住を
仰せ入れになった。

盛親は霜月に上洛したが(ただし詳しい月日は知らず)、兵部殿を以て命が下り、土佐国を此の方に渡すよう
仰せ入れになった。盛親は、土佐国を引き渡す旨の判形を家来に持たせ遣わし、兵部殿より御家来(鈴木平兵衛)を
差し下した。

この時、山内対馬守(一豊)に土佐国が下される事になっており、先立って鈴木平兵衛と同年の冬、土州へ
差し下した。ところがこの時、長宗我部家来達が城を明け渡すことは出来ないと一揆を催し、鈴木平兵衛を
雪蹊寺に取り囲んだ。しかし盛親の家老たちが「主人が上方に有りながら一揆を起こせば、盛親の身上が
果ててしまう。すぐに明け渡すべし」旨を申したため、異事無く渡したのだと、この一揆に参加した者共は
申し伝えている。

(長曾我部覺書)

長宗我部盛親の改易と、浦戸一揆についての記録



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    一豊「相撲しようぜ」ピシャリ
    鈴木「なるほどそうか!!」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    康豊「フゥンホォン!」
    一領愚息「オォン!アォン!」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    なんでホモが沸いてるんですかね

  4. 人間七七四年 | URL | -

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