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週刊ブログ拍手ランキング【01/23~/29】

2020年01月29日 14:31

01/23~/29のブログ拍手ランキングです!


斎藤龍興の没落 9

土岐頼芸の美濃没落と後半生について。 9

斎藤道三下剋上のこと 9

かくして、斎藤左京大夫は日を追って権勢つのり 7
”岐阜”の変転 6
土岐頼芸追放後の斎藤道三 6
斎藤道三の滅亡 5



今週の1位はこちら!斎藤龍興の没落です!
斎藤龍興と言う人物については、軍記などの影響で、特に竹中半兵衛がらみのお話で、暗愚な君主という印象が一般的には
強いのかも知れません。
しかし美濃没落後、長島、越前などに渡り、信長に敵対し戦い続けた勇猛な戦士であり、またキリスト教にも入信したらしく、
キリシタン関係の史料にはその高い理解力、深い洞察力が驚きの声とともに紹介されています(もちろんキリスト教の側からの
主観でもありますが)。彼の後半生の印象から見ると、国というものはたとえ果敢で活動的で賢明であっても、時に保つのは
難しいものなのだ、と言うことを感じてしまいます。そんな事を考えさせてくれた内容でした。

今週は同票でもう一つ!土岐頼芸の美濃没落と後半生について。です!
こちらは上の龍興の祖父、斎藤道三に追放された土岐頼芸の後半生についてのお話。なんとこの人、道三どころか信長、龍興より
長く生きているのですね。そしてその生涯はある種の悲哀に満ちており、このお話の中では上総国万喜へと落ちていますが、
実際にはこの後甲斐武田氏を頼り、やがて織田信長の甲州征伐の際「発見」されて、稲葉一鉄の援助により美濃に帰還、そして
その半年後に死去するという人生だったといいます。
この土岐頼芸は今年の大河にも登場しますが、主人公の明智光秀とも関わるようで、はたして物語の後半、光秀も参加した
甲州征伐での再会も描かれるのだろうかと、今から楽しみにしています。
それにしても、斎藤龍興のお話もそうですが、歴史の表舞台から退場した人たちの、その後の人生にも、或いはだからこそ
ドラマがある。そんな事を思ったりしました。

さらにもう一つ、今度は斎藤道三!斎藤道三下剋上のことです!
いわゆる典型的な、江戸期の軍記物などで現れる斎藤道三が描写された下剋上の模様だと思います。
この斎藤道三という人、同時代的にも、美濃周辺では非常に評判の悪い人物だったようです。すこし時代は下がりますが、
近世初期の笑話集『醒睡笑』などにも、道三が悪人の典型、といった形で紹介された小話があり、畿内においても彼の「悪」が
一般に強く印象されていた事が見て取れます。これはつまり、それだけ敵が多かったという事の現れでもあるのでしょう。
また多くの敵が有ったからこそ、下剋上をせざるを得なかった、という理解も可能かと思います。実は下剋上って、やる方も
出来ればしたくないのですよね。
こちらの内容は明らかに、美濃守護土岐家の目線から描かれていますが、この内容から逆に、斎藤道三の目線を考えるのも
非常に面白い。そんな事を感じました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます。
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    確かに龍興は単純に暗愚とは言い難いと思います。
    何分父義龍の早逝で家督相続したのが数え十四てのが若過ぎでしょうね。
    例えば毛利輝元は父隆元の急逝で家督相続したのは数え十一と龍興より若いですが、輝元には祖父元就、叔父元春、隆景が居ましたが、龍興にはその様な人間が居なかったですし。
    その様な状況で信長の攻勢に対応して国内をまとめていくのは困難だと思う。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    それにしても斎藤家祭りといった様相でここ最近は読みごたえがありすぎる

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