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本多忠信・正盛の不幸

2020年02月10日 18:51

846 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/02/10(月) 11:20:50.70 ID:a2Lko6Se
本多忠信・正盛の不幸

本多忠信は本多百助信俊(忠政)の弟。九鬼氏の娘を母として誕生しており、内藤正成の息子を養子としていた。 

さて忠信は家康に仕える旗本であったが、関ヶ原の合戦の際、親族にあたる縁から九鬼嘉隆への御使として派遣された。ところが嘉隆はすでに石田三成方に心寄せており伊勢国朝熊において忠信を殺害したという。 

忠信の横死後は正盛が跡を継いだ。時は流れて家康の死後、この正盛は東宮社造営の副奉行という大任を賜った。 

ところが同輩の山城宮内と口論となり、挙げ句の果てに激昂した正盛は山城を刀の鞘で打ち据えるという暴行を働いたと言う。山城はこの狼藉が原因で切腹してしまった。

正盛は重要な時期に騒動を起こした責任を追及され、東宮社完成と同じ月に松平成重にお預けの上、自刃を命じられた。日光市の福生寺に現在も墓が残っている。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    山城の切腹は無念腹または指腹と言う奴か?

    くわばらくわばら桑原茂一

  2. 人間七七四年 | URL | -

    桑原茂一と言えばスネークマンショー
    痛いですかー、戦争、嫌いですかー

  3. 人間七七四年 | URL | -

    九鬼と本多に血縁があるって言うのが興味深い
    結局その血縁も身を守ることには繋がらなかったが

  4. 人間七七四年 | URL | -

    使者は命賭けの仕事って言うけど、実際こういう名のある武将が交渉相手に害される例てなかなかない気がする。

    でも忠信の兄の信俊も使者を務めて横死してるし、本多家の中でもこの一族は不遇のイメージが強い。

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