FC2ブログ

席次の公事

2020年02月16日 16:09

651 名前:1/2[sage] 投稿日:2020/02/16(日) 14:19:53.32 ID:9kZo4FPV
越後衆である森出雲という侍と、佐渡先方の槇伊賀という武辺が公事(訴訟)を致し、目安を捧いだ。
これに対し、両人とも大身の侍であり、殊に武道の出入り(度々武功を成した人物)であるので、
奉行衆も遠慮を成し、上杉謙信公の御前に後披露をした。

その訴訟の内容は、これは越後の風にて、侍大将の采弊を下された場合を除き、それ以外の侍が
私に参会する時は、老若高下を問わず、先代の長尾為景以来の後感状を多く持った侍を以て上座としていた。
感状を同数持っていた場合は領地加恩の多少で選び、さらに領地も同分の場合は年齢によって
崇敬する定めであった。

折しも春日山蓮華宝院にて、近辺の侍数名に振舞が出された事があった。
ここの一の上座は侍大将の柴田内膳、その次は同じく侍大将の長尾小四郎、三番以降は感状の数によって
座を定められた。
越後の侍である森出雲守は年齢六十余にて、感状を二十三まで取って持ちたる覚えの侍であり、彼が
侍大将の次に座った。

その所に、佐渡庄内衆の槇伊賀という侍が後から走り来て座席を見廻して後、はるか下座に座った。
彼も覚えの侍にて人に知られた者であったため、その場の各々彼に向かって「伊賀殿はそのような場所に座す
人ではない、雲州殿の次に座られよ。」と申した。こうして些か挨拶有って後、伊賀守は申した

「雲州殿は故為景公、当代謙信公両殿の御感を二十三までお取りになったと聞き承っております。
尤も冥加の覚え美々しき御事であります。

さりながら、それがしも近年謙信公の元に罷り出て、所々の御陣に御供いたし、ここ十六年来、御感状を
二十一戴いております。その中でも越前衆との御取合の時には、一日の内に十三度の競合いがあった中で、
私は十一度の一番鑓を仕り、甲冑を帯びた侍を九人討って首を得、謙信公自ら『天下無双』とお書きになられた
御感状一つ取り申しております。

御当家の御座席は手柄次第だそうなので申しますが、その感状の数を言えば、私は雲州殿に二つ遅れております。
しかし手柄について言うなら、私のほうが増しているのではないでしょうか?
先ず以て、天下無双の四文字が書かれた御感状は、おおよそ常の御感状五つ六つにも替えがたいものです。
その上、雲州殿御所持の御感状は、過半が御父たる為景公より御頂戴したものだと承ります。
私は全て当代の謙信公より戴いたものであり、同じ事とは申しながら、謙信公より御感状を戴くことは稀であり、
それが貴重であることは、自ずから百重千倍であります。
謙信公は知行俸禄を惜しまれることはありませんが、御墨付を下されるのは常々には無いからです。

但し、これは先ず自分の主張に過ぎません。雲州殿にも、如何様なる大切の御感状が有るのかも私は存じません。
雲州殿は長尾譜代であり、私は先方にて十六年来の者でありますから、それを以て式対を仕るという事であれば、
私は一口も愚意を申しません。」
そう、礼を厚く申した。

森出雲守はこれを聞くと
「伊賀殿の事は兼ねてから承っていましたが、是程委細に聞いたのは只今が初めてです。さてもそのように
稀なる御感状を帯られているとは。
先ず以て、十三度の競合いで十一度まで一番鑓を合わせられたという事ですが、まことに天下無双と言うべき
御覚えでしょう。何故ならば、おおよそ取合の時、相手が弱兵であればどう考えても毎回の一番鑓は成し難い
ものです。敵が弱兵であれば味方の中から進む者も多くなり、一人に一番鑓の功を渡さないためです。
一方、相手が剛強で、少しでも出ればそのまま命を取られるほどに強く見える時は味方は進みかね、抜け出る
者もありません。この場合は、心がけ次第で幾度も一番鑓を一人にて仕る事が出来ます。
これらから判断すると、越前の御敵はなかなかの剛敵であったのでしょう。

652 名前:2/2[sage] 投稿日:2020/02/16(日) 14:21:00.27 ID:9kZo4FPV
その頃私は前橋に居りましたから、越前衆と手を合わせたことがなく、実際を存じませんが、しかしながら
謙信公御一将の御感状を二十一まで、十六年の間に御頂戴された上は何を争いましょうか。
強敵あり弱敵あり、危うき場あり安き場あり、武辺は時の仕合でありますから、後日の褒貶というものは
当たりかねるものです。感状において私も申そうと思えば、少しは意見を持ち合わせていますが、
大体において私の存ずる所はそういう物ではなく、孟子には及ばずながら、些かも誇らぬ意智こそ貴いと
思っております。これは先ず当座の戯言ですが、座席の事は、様々に稀なる御感状を御持ちなのですから、
どうぞこちらにお座り直して下さい。その他の御方にも、武辺を申すなら私など申し及ぶ御方は無いでしょうが、
私は皆以前よりの旧例にて、御上座に罷り有るだけですから、式対には及びません。伊賀殿の御次に
移りましょう。」

そう言って座を立ち伊賀に「どうぞこちらへ」と促した。伊賀守は大いに恥じ入り
「さては年寄りに不覚の義を申し出してしまい、御座敷の妨げとも成ってしまいました。
御譜代でもあり、事に御感状の数も二つまで多く所持しておられるのです。先程の慮外は是非とも御免なさって
下さい。私はどうかこの座席に差し置かれて下さい。」

そう断りを申したが、これに対し出雲は全く承引せず、伊賀に強いて上座を請うた。この応酬は止まず、
その座にあった侍大将の柴田、長尾も扱いかねて、後日謙信公への御披露に及んだのである。

謙信公は余事と異なり、武辺の出入りに関しては深く評議を遂げ、御入念を以てされていたので、
これをお聞き召されると、先ず七組衆、十一人衆、二十一人衆を召され審議の上で、このように仰せになった

「森出雲は感状多く、殊に譜代覚えの者であり、下座に着く謂れはない。
また槇伊賀は感状の数は劣っていても、一日の内に十一度まで一番鑓を合わせ九人の侍を討ち天下無双という
感状を取った事、これは名誉であるからこれも下座に着き難い。
よって両者別れ、対座有るべし。

その上で、今回双方が口説(口論)に及ばず、謙譲を第一にして強みある論談をなし、その中でも
出雲は最初からの応対における慇懃の様子、考えうるに非常に結構な式対であった。」

こうして両人同座に召され、森出雲には信國の刀、槇伊賀には大原實守の脇差を賜った。
この時謙信公は

「両腰とも、この謙信が度々手づから人を斬った刀であり、金良きものである。」との御言葉があった。
(乍両腰謙信度々手つから人を切り刀金よしとの御言葉あり)

(松隣夜話)

上杉家における席座についての公事のお話



654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/16(日) 15:54:31.54 ID:a9448HmF
>>651
いつ斬られるかとハラハラした

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/16(日) 19:13:54.19 ID:qg6vK/89
>>652
面倒くさい、ただただ、面倒くさい
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    良かった。
    死人が出なくて本当に良かった

  2. 人間七七四年 | URL | -

    下手なホラー映画よりよほどハラハラドキドキする上杉謙信という名の瞬間湯沸かし器

  3. 人間七七四年 | URL | -

    槇伊賀めんどくせェ…

  4. 人間七七四年 | URL | -

    いや待てよ、よく考えたらこんな事で訴訟起こさなくても良かったんじゃあ?
    下手をしたら腰の物賜るのが両手じゃなくて首になってた訳だし

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/12359-5c8a5012
この記事へのトラックバック