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週刊ブログ拍手ランキング【02/13~/19】

2020年02月19日 17:48

02/13~/19のブログ拍手ランキングです


これは信玄を敬するためではない、弓矢軍神への礼である。 14

この下には水道があるのに 9

その身利根才覚に優れ 8
国民は一般に貧窮にして、貧窮を恥辱と思わず 7

【雑談】森長可も名君になった可能性 6
席次の公事 6
龍泉寺の事 6

我が心を証人とする 5
池田輝政、関ヶ原本戦での配置について 5
鎧淵由来 5



今週の1位はこちら!これは信玄を敬するためではない、弓矢軍神への礼である。です!
武田信玄と上杉謙信を宿命のライバル、とする考え方は割と早い段階から存在したらしく、その萌芽は甲陽軍鑑などでも既に
見られますね。彼らの戦いを龍虎のそれとする見方は江戸期の甲越軍記ものに表れるわけですが、あるいは同時代にも、
そのような観察は有ったかも知れません。
このお話もそういった認識の上に生まれたものだと思われますが、ここで面白いのは謙信が、武田信玄という個人の
の死そのものを悼むのではなく、彼の軍事的才能がこの世から消えたことを弓矢軍神に惜しむ、といった理論で信玄の死を
追悼する所ですね。言ってしまえばツンデレ理論になるのですがw信玄と謙信の戦いとは巨大な才能と才能のせめぎ合いで
あったという認識も示されているように思います。その上で、宿敵であった武田信玄であってもその死を悼む謙信に、後世の
「義の武将」「軍神」の原型を感じることも出来るかと思います。

2位はこちら!この下には水道があるのにです!
これは、このブログでも見慣れた”ろくでなし”(六左衛門)ではなく、後世の”名君”水野勝成の逸話ですね。ここを見に来られる
方は皆さんご存知とは思いますが、勝成は長い流浪期を経て水野家当主に復帰すると、それまでの荒くれた存在から一変して、
当時としても模範的な君主と成ったと言われます。その事について、水野勝成自身は「流浪した頃の下々との交流が役に立った。」
と言っていたというお話もあったりしますが、ともかく、江戸初期には一種の規範的人物としても見られていたわけですね。
このお話で、上水道は当然、江戸に生活用水を引くものですから、その上を通れば、ゴミやホコリが落ちる可能性がある上、
「足蹴にする」という意味合いも含まれる可能性があります。そういった事に、譜代の中でもトップクラスと言っていい勝成が
配慮するというのはまさに「規範的」であり、江戸に住む多くの武士に、守るべきマナーを伝え知らしめる、そういった意味合いの有る
逸話だと思いました。そしてそういう役割を受け持つこともまた「名君」の機能なのでしょうねw

今週管理人が気になったお話はこちら!国民は一般に貧窮にして、貧窮を恥辱と思わずです!
フランシスコ・ザビエルによる薩摩の人々についての観察ですね。
「武士は貧しいが尊敬されている」という部分、これは宣教師の記録からは、九州以外でも等しく観察されていますね。
何故に武士が尊敬を受けているかと言えば、彼らが「自力救済」を体現した存在であったためでしょう。もっと平たく言えば
「命より大切な自身のメンツを守る意志と手段を持った存在」といった所でしょうか。
武士は自分の誇り、メンツが傷つけられたと考えた時は躊躇なく武器を以て、一族郎党をも引き連れて戦い、事によれば
自害してまでもそれを守り抜くわけです。武士に限らず中世の日本人全体にそういう志向がありましたが、その中でも武士は
そのチャンピオンである、と見られていたのでしょう。だからこそ裕福な商人であっても、武士を尊敬するのです。
一方で武士がそのようであったこそ紛争も多発し、喧嘩両成敗法などが生まれ近世への筋道を作っていくわけですが、
そういった「武士」の歴史についても思いを馳せさせる、そんな内容だとも思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    花は桜木人は武士、なんて一休さんも言ってますしね。
    我々現代人のとは違う憧れが同時代人にもあったのでしょうね。

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