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伊達政宗とプロパガンダの影響

2020年02月21日 17:30

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/21(金) 11:58:53.50 ID:MhfiBKEZ
伊達政宗とプロパガンダの影響

天正18年に発生した葛西大崎一揆のあと、葛西・大崎13郡は伊達政宗に与えられたが、地元民による伊達氏への怨恨はあまりにも強かった。
そこで政宗は伊達氏の領下で盛んに演じられていた御国浄瑠璃(奥浄瑠璃)を利用することを思い付く。
当時の葛西・大崎13郡となる陸奥国中部では安倍氏の時代以来、坂上田村麻呂の本地仏を毘沙門天とする田村信仰が盛んであったこと。
また正室の愛姫が坂上田村麻呂の子孫を称していたことから、室町物語『田村の草子』を伊達氏に結びつける形で改編、御国浄瑠璃『田村三代記』を陸奥国中部で演じさせた。
例えば『田村の草子』では悪路王を討伐するため陸奥国へと赴いた藤原俊仁(=藤原利仁)が陸奥国田村郷の賤女と契りを交わして田村丸俊宗(=田村麻呂)が誕生する場面がある。
これを悪路王を討伐するため陸奥国へと赴いた田村利光が陸奥国三春の悪玉姫と契りを交わして田村丸利仁(=田村麻呂と利仁)が誕生すると改編した。
理由は演じられた地域の神社やお寺の縁起を『田村三代記』に合わせて書き換えるため。
他にも鈴鹿山の大嶽丸を陸奥霧山の大嶽丸へと変更し、清水寺の建立を陸奥国に田村大明神として現れる(=田村信仰へと結びつける)物語にすることで、プロパガンダを通じて伊達氏が支配の正統性を植え付けた。
この政宗によるプロパガンダの影響は甚大で、戦国時代中期に仙台藩の社寺の縁起を調査した仙台藩士・佐藤信要が『封内名跡志』で「事実を弁せず妄りに田村の建というは尤も疑ふべし」と匙を投げるほど50を超える寺社の縁起が上書きされていた。
プロパガンダが効きすぎて、地域の歴史を遡れなくなったのである。

東北地方で田村麻呂を利用したプロパガンダは有効であったようで、慶長4年に盛岡城へと移った南部信直と南部利直親子も行っている。
こちらは鎌倉御家人・工藤氏から続く岩手山祭祀を南部氏による支配に合わせて改編した。

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/21(金) 12:05:26.80 ID:MhfiBKEZ
政宗による戦後プロパガンダはここ数年で東北の大学を中心に論文がちらほら出始めてて面白い
北上川流域の毘沙門天信仰の地域では田村麻呂で上書きしつつ
そこから離れた領内では田村麻呂の母親で上書きしてる
子安地蔵は田村麻呂と立烏帽子の娘にしてたり
地域全体を使ってのプロパガンダを行えたのが凄いとかなんとか

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/21(金) 12:09:19.65 ID:MhfiBKEZ
あまりにも見事に上書きしてしまってるから戦国時代中期の仙台藩の学者や
平泉雑記を書いた相原友直が「田村麻呂しかでてこねーじゃねーか」って本を残しまくる事態に陥ってる
大半の神社や仏閣の本来の歴史が「政宗から3代くらいの間に書き換えられた」しか判明しなくて残念だと



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    政宗の嫁さんって、田村家から貰ったよね。
    それとも関係するのかな。

    会津史学がやってた事を見れば、冬は雪でやる事ないから、あれやこれやと話を膨らませてしまうんじゃないかな。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    本文中に

    また正室の愛姫が坂上田村麻呂の子孫を称していたことから、室町物語『田村の草子』を伊達氏に結びつける形で改編、御国浄瑠璃『田村三代記』を陸奥国中部で演じさせた。


    こうありますよ。まぁ、そう言う事でしょう。
    しかし、東北一帯の旧支配者連中がこぞって僕も私もアナタも田村麻呂ってやってたなんて面白いけど、皆同じ穴の狢なんだなぁ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    九州の方でも頼朝の御落胤を自称する大名が2つ(大友、島津)も有る位だから、東北で田村麻呂使うのは正統性欲しい大名にとって当然かと思う気がする。
    因みに頼朝御落胤本当なのは貞暁だけらしいが、その母親大進局の父親は常陸入道念西て(●∀・)のご先祖だったする。

  4.   | URL | -

    多賀城碑を伊達家が偽造した説があるけど
    (利仁とは違う家系とはいえ藤原氏だから?)
    疑われるのはこんなことしてるせいだろうか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    まーくんが嫁実家の名とその祖先の名を使わねばならなかったほどって、どんだけ恨み買ってたんだよって思っちゃう。
    後から来た佐竹とかはそんな事しなくても良かったのかな?
    東北より九州の方が修羅ってそうなイメージだったけど、ちょっと意外だった。
    まぁ色々荒らしたまーくんが大体悪いんだろうけどさ。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    田村語りか
    当時の日本に民族意識なんてなかったとは思うが(あるのは血族意識か邑意識)
    斯波大崎の郎党と1000年前に蝦夷と和人が習合し土着した領民にとっては田村将軍と悪玉姫の結びつきは良いとこ取りだろうな
    鎮撫するにこれ以上ない演出だ

    研究家もバッサリ創作だと斬り捨てるんじゃなく、そこに至るまでの行間を読む苦労をした方がいい
    俘囚とか奥州藤原氏とか地縁血縁いろいろなバックボーンがあるんだから深く研究してくれ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    研究家「苦労してるんだが?」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    葛西大崎一揆の後、証拠隠滅で各家の文書も燃やし尽くしたから
    葛西のような大家の当主の系図すらはっきりしなくなってる

    そういや相撲で地侍集めて鉄砲隊で皆殺しって話は政宗にもあったね

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※5

    知り合いの実家が葛西家旧家臣の末裔なのだが、

    葛西大崎一揆のあと領土をその旧領にシフトさせられることになった伊達家が
    葛西家家臣団に「政宗からいうことあるからどこそこに一同集まってくれ」と通知が来て
    扇動された通りに一揆をおこしたのだから恩賞かな?
    伊達領がこちらになるから地元詳しい俺らを雇用かな?って
    うきうきしながら

    沼と山の狭隘地になったところを指定されたので集まってみたら

    案の定皆殺しですわ


    というのを昭和の末まで語り継ぎながら墓守してたのがその実家
    一揆直後の恨みつらみはどれほどであっただろうか

  10. 人間七七四年 | URL | -

    藤原俊仁って誰だよって検索したらWikipediaがヒットしたけど秀逸な記事だった
    『田村三代記』で伊達がどう改編したのか勉強になった
    伊達家の巻狩りを田村麻呂誕生の物語に組み込んでたり塩竃神社を関与させたり
    想像以上に本格的なプロパガンダだった

    少し前だと映画、今だとSNSとかを利用する感覚だから
    伊達ってそういう戦略も凄かったんだな

  11. 人間七七四年 | URL | -

    伊達家への恨みは時代と世代の移り変わりで薄れてもいったんだろうけど、御国浄瑠璃を利用した新支配地域の民衆からの伊達家への不満反らしは功を奏してるとは思うけども、地域の毘沙門信仰やらを田村信仰へ転換したのがどれだけ効果が有ったのか?と考えたらちょっと疑問符が…

    文中の戦国中期は江戸中期の誤記だと思うけど、後の時代の研究者も苦労する羽目になってるし溜まったもんじゃねーな、(●∀゜)の野郎…

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    本文中に
    >安倍氏の時代以来、坂上田村麻呂の本地仏を毘沙門天とする田村信仰が盛んであったこと。

    こうあるから平安時代末期には田村麻呂=毘沙門天=田村信仰があったんでしょう
    少し調べたら田村麻呂=毘沙門天は安倍氏と坂上氏の署名が見つかった毘沙門堂のある花巻あたりで発生して
    奥州藤原氏と坂上氏の署名がある中尊寺のある平泉まで布教されて達谷窟が建立されたとある
    地元民的には毘沙門さまの足に味噌を塗る風習がある地域とも被ってるなって
    政宗は毘沙門天信仰に乗っかった形かと

  13. 人間七七四年 | URL | -

    稚拙なやり方で尻尾掴まれて
    失敗したら明日はないからなりふりも構ってられないわな

    しかしまあ先祖伝来の地を奪われて当てがわれたのが荒廃した土地という大名としてはほぼ死んだ状況

  14. 人間七七四年 | URL | -

    懲りもせず展開される拙劣な謀略の数々とド派手なパフォーマンス、かろうじて首の皮一枚繋がるような土下座外交に恨み買いまくりの荒廃した領地・・・正直、よくお家存続できたなと思わざるを得ない

  15. 人間七七四年 | URL | -

    人生はギャンブルとはよく言うけど、ある意味名ギャンブラーなのかも

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※15
    名ギャンブラーは損切りが上手いらしいがまーくんの切捨てっぷりも結構えぐいな

  17. 人間七七四年 | URL | -

    史学考証学的には残念だけども、統治面では上手くやったもんだなとも思うが。
    遺恨が今なお伝えられいても、少なくともそれをお目こぼしする余裕はできていた。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    なんだかんだ言われるけど政宗って卓越した大名だったんやなと思うわ


  19. 人間七七四年 | URL | -

    瑞巌寺境外仏堂の五大堂は、坂上田村麻呂が毘沙門天を祀ったのが始まりであり、伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建した
    ここも伊達政宗が瑞巌寺を再興するにあたって、まず五大堂を再興して「田村麻呂が建てた毘沙門堂を伊達家も大切にする」という支配の実績作りとプロパガンダだったんだろう
    東北地方で田村麻呂が毘沙門天や十一面観音を祀ったとするのは、すべて後世の宗教家や為政者によるプロパガンダ
    愛姫が正室になったのは歴史の流れでの偶然だったとしても
    田村麻呂の価値を理解して利用したまーちゃん凄い

  20. 人間七七四年 | URL | -

    ちょっといい話

    お国浄瑠璃は主に盲目の法師が演じていた
    政宗は仙台藩がお国浄瑠璃を保護することで
    盲目の人が自立出来る環境を作り
    庶民に支えられて昭和のはじめまで続いた
    プロパガンダに使われたのは確かだけど
    盲目の法師への福祉事業であり
    なにより城に招いて演じさせるほどの一番のお国浄瑠璃のファンが政宗だった

  21.   | URL | -

    政宗自身が隻眼の高僧・満海上人の生まれ変わりを称してたから
    盲目の法師にも優しかったとか?

  22. 人間七七四年 | URL | -

    こういうの見ると、今も昔もあんまり変わらないなと思う。
    違うのはツールだけ。

  23. 人間七七四年 | URL | -

    まぁぶっちゃけ
    国家神道で全国規模で色んなもんを
    皇室縁起に書き換えちゃったからね

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