02/20~/26のブログ拍手ランキングです
伊達政宗とプロパガンダの影響 12
雑談『松隣夜話』について 9
手取川の戦い 8
我等が首を切られないように 7
館林城の築城由来 6
必ず天下の主となるでしょう 6
「スッミッ」 4
謙信公の御在世が、長久有るまじきように 2
今週の1位はこちら!伊達政宗とプロパガンダの影響です!
東北における伊達政宗の、一種のメディアによるプロパガンダと言って良いのでしょう。当時の奥州における坂上田村麻呂信仰、
そして奥州安倍氏以来の東北の歴史を感じさせるお話ですね。
それにしても、もはや原型がどうだったかもわからないほど情報が上書きされるとは、伊達氏によるプロパガンダの巧みさと
強力さが非常に伝わってきます。伊達政宗が正妻の愛姫を非常に大切にしたというのは有名ですが、勿論それだけではないにせよ、
彼女が坂上田村麻呂の血を引いていた(と信じられていた)事も、彼女の扱いに関する大きな要素であったのは間違いないのでしょう。
そういえば、伊達政宗は奥州の既存秩序を破壊するほど戦いを拡大した、という評価をされることがありますが、昨今では、
政宗は舅である田村清顕の行動に引きずられ、彼を見捨てられないため結果的に戦線が拡大してしまった、という説もあります。
これも政宗、伊達氏において「坂上田村麻呂の子孫と繋がることが非常に重視されていた事の傍証に成るかも知れません。
戦国時代、近世初期だけでなく、古代末期から中世全体の東北についても考察を深めたく成る、そんなお話だと思いました。
2位はこちら!雑談『松隣夜話』についてです!
松隣夜話というのは著者、成立年不明というなかなか厄介な軍記なのですが、現在に至る武田信玄のイメージの多くが
甲陽軍鑑に寄っているのと同じように、上杉謙信イメージの形成の上で重要な役割をはたした書物であることも事実でしょう。
そして内容としては、明らかに甲陽軍鑑を重要なタネ本の一つとして使っていますね。その上で上杉謙信が主役と成るよう、
大胆な改変を行っています。そして各所に見られる謎の太田三楽への高評価については、この軍記の著者とされる
宇佐美勝興が仕えようとした水戸徳川家の初代頼房の母、英勝院の出自が太田氏であり、太田三楽とも関わりのあった(らしい)
太田康資の娘(とされている)事から何かしらの斟酌が有ったのか、なんて想像もしたりします。
軍記というものは必ずしも「史実」を描いているわけではありませんが、その成立背景などを考えた時には、また違った姿を
見せてくれると思います。それもまた、歴史を識る楽しみだなと感じます。
今週管理人が気になった逸話はこちら!館林城の築城由来です!
この、狐による館林城築城の由来というお話は、少なくとも近世初期には非常に有名だったらしく、北関東を舞台にした軍記物でも
多く指摘されていますね。生き物を助ける事で何かしらの恩返しをされる、という説話はそれこそ浦島太郎を始めとして数多く
有るわけですが、そのお返しが軍事技術というのは非常に珍しいと思いますし、おそらく当時もそうだったのでしょう。
ある意味、まさしく戦国時代らしいお話でもあり、故に色々な所で語られたのではないか、なんて思ったりします。
こう言ったお話のバックボーンには、何かしらの稲荷信仰の影響があるのでしょうけど、その地域の稲荷信仰の状況と含めて、
そこを色々調べ、考えていくのも面白そうですね。
お話としても、また信仰や民俗学の面でも興味深いお話だと思いました。
今週もたくさんの拍手を各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
伊達政宗とプロパガンダの影響 12
雑談『松隣夜話』について 9
手取川の戦い 8
我等が首を切られないように 7
館林城の築城由来 6
必ず天下の主となるでしょう 6
「スッミッ」 4
謙信公の御在世が、長久有るまじきように 2
今週の1位はこちら!伊達政宗とプロパガンダの影響です!
東北における伊達政宗の、一種のメディアによるプロパガンダと言って良いのでしょう。当時の奥州における坂上田村麻呂信仰、
そして奥州安倍氏以来の東北の歴史を感じさせるお話ですね。
それにしても、もはや原型がどうだったかもわからないほど情報が上書きされるとは、伊達氏によるプロパガンダの巧みさと
強力さが非常に伝わってきます。伊達政宗が正妻の愛姫を非常に大切にしたというのは有名ですが、勿論それだけではないにせよ、
彼女が坂上田村麻呂の血を引いていた(と信じられていた)事も、彼女の扱いに関する大きな要素であったのは間違いないのでしょう。
そういえば、伊達政宗は奥州の既存秩序を破壊するほど戦いを拡大した、という評価をされることがありますが、昨今では、
政宗は舅である田村清顕の行動に引きずられ、彼を見捨てられないため結果的に戦線が拡大してしまった、という説もあります。
これも政宗、伊達氏において「坂上田村麻呂の子孫と繋がることが非常に重視されていた事の傍証に成るかも知れません。
戦国時代、近世初期だけでなく、古代末期から中世全体の東北についても考察を深めたく成る、そんなお話だと思いました。
2位はこちら!雑談『松隣夜話』についてです!
松隣夜話というのは著者、成立年不明というなかなか厄介な軍記なのですが、現在に至る武田信玄のイメージの多くが
甲陽軍鑑に寄っているのと同じように、上杉謙信イメージの形成の上で重要な役割をはたした書物であることも事実でしょう。
そして内容としては、明らかに甲陽軍鑑を重要なタネ本の一つとして使っていますね。その上で上杉謙信が主役と成るよう、
大胆な改変を行っています。そして各所に見られる謎の太田三楽への高評価については、この軍記の著者とされる
宇佐美勝興が仕えようとした水戸徳川家の初代頼房の母、英勝院の出自が太田氏であり、太田三楽とも関わりのあった(らしい)
太田康資の娘(とされている)事から何かしらの斟酌が有ったのか、なんて想像もしたりします。
軍記というものは必ずしも「史実」を描いているわけではありませんが、その成立背景などを考えた時には、また違った姿を
見せてくれると思います。それもまた、歴史を識る楽しみだなと感じます。
今週管理人が気になった逸話はこちら!館林城の築城由来です!
この、狐による館林城築城の由来というお話は、少なくとも近世初期には非常に有名だったらしく、北関東を舞台にした軍記物でも
多く指摘されていますね。生き物を助ける事で何かしらの恩返しをされる、という説話はそれこそ浦島太郎を始めとして数多く
有るわけですが、そのお返しが軍事技術というのは非常に珍しいと思いますし、おそらく当時もそうだったのでしょう。
ある意味、まさしく戦国時代らしいお話でもあり、故に色々な所で語られたのではないか、なんて思ったりします。
こう言ったお話のバックボーンには、何かしらの稲荷信仰の影響があるのでしょうけど、その地域の稲荷信仰の状況と含めて、
そこを色々調べ、考えていくのも面白そうですね。
お話としても、また信仰や民俗学の面でも興味深いお話だと思いました。
今週もたくさんの拍手を各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
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