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安房守の死と大坂の陣の左衛門佐

2020年02月28日 16:37

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/28(金) 01:22:07.17 ID:eWP8eY2H
或いは云う。真田安房守(昌幸)は大阪の一戦(大坂の陣)の三年前に、高野山の麓、瀬良という場所で病死した。
その死に至ろうという時、息子の左衛門佐(信繁)にこのように語った

「私が今から三年存命していれば、秀頼公へ容易く天下を取って進上すべきものを。」

左衛門佐はこれを聞くと、「いかにして天下が秀頼公に服させるのでしょうか?」と尋ねた。
しかし安房守は
「重病故に、心乱れて筋無き事どもを申してしまった。どうやって、今や乞食同然に成り果てた私が、
天下を取って秀頼公に進上するというのか。」と、答えなかった。

左衛門佐これに
「私に対して御慎みはあるまじき事です。是非、思っておられることを仰せ聞かせて下さい。これは懺悔の御物語とも
なるでしょう。」と、たって所望したため、安房守は

「そういう事であれば、懺悔の物語として聞かせよう。おそらくここ三年の内に、家康は叛逆して軍兵を催し、
秀頼と討ち果たそうとする事は必定、掌の如くである。その時私が存命ならば、人数三戦ばかりを引き連れ勢州
桑名を越えて備えを堅く立てれば、家康は私が数度手並みを見せているので、真田が出向くと聞けば家康も
容易く懸け向かう事は無い。そして暫くこれを相支える内に、太閤の御恩賞の諸大名多ければ、大阪へ馳せ集まる
人も多いであろう。そして家康勢が押しかかって来れば、桑名へ撤退し、また先のように相支え、又押し懸けて
一戦せんとするならば、さらに撤退してそこで支える。そのようにしている内に、こちらは悉く人数が集まるであろう。

さて、我等は勢多まで撤退し、勢多の橋を焼き落とし、こちら側には柵を付けて相支えれば、数日ほども経す内に
畿内の人数が馳せ集まる事、掌の如きである。然らば天下を治めること、手の裏に有り。

…と云うものの、これは皆妄念の戯言である。長物語に、胸が苦しくなった。水を飲もう。」

そう言って水を飲み干すと、そのまま死んだという。

その後、左衛門佐は大阪に籠城した折、安房守の末期の一句の謀術を献案したものの、諸将の評議紛々となり、
その意に任せることが出来なかった。秀頼校も諸将の言に迷い、左衛門佐の申すに任せなかった。

そのような中、左衛門佐が柱にもたれていた所、武見の者来て、「大和口より猛勢が押し入りました。
伊達陸奥守(政宗)です!」と申す所に、また一人来て「陸奥守の勢の跡より猛勢が押し入りました。
越前少将(松平忠直)です!」と報告した。しかし左衛門佐は少しも変わる気色無く、

「よしよし、悉く入り込ませ、一度に打ち殺そう。」

と、さにあらぬ体であったので、諸士、その器量を感じたという。その後、左衛門佐が人数を出した所、伊達の
先手騎馬鉄砲と言って、馬上にて鉄砲を撃つ兵五百騎が、鉄砲を並び立てて、敵の向かってくる所に馬を乗り入れ、
駆け乱た所に、後ろの勢が押し込んで切り崩すという備えであった。
左衛門佐はこれを見て士卒悉くを伏せさせ、鑓衾を作り前に鉄砲を並べて打ち立てさせ、そのしおをみて
一度にどっと、牛起きに起きて突き懸れば、騎馬鉄砲は却って敗軍した。

左衛門佐は勝って兜の緒を締めた。伊達方の兵再び集まり向かって来る間に、左衛門佐は諸卒に下知して曰く
「炎天の事なれば、皆々兜を脱げ」
と言って兜を脱がせたのだ。伊達勢が近々となった時、諸卒は兜を着けようとしたが、左衛門佐はそれを着けさせ
なかった。敵との間が一町の内に及んだ時、
「では兜を着けよ!」
と下知した。その時悉く兜を着けたが、心が金石のように成り、その勢いで切って懸かると、伊達の備えを
切り崩したという。

この他、左衛門佐の数々の軍略は、人の耳口にあまねき事であるので皆記すに及ばず。
大阪合戦で諸将の働き、秀でたる事ども有りと言えども、左衛門佐が第一に秀でていたのは、
その器量ある上に、平生より武術の学びを怠らなかった顕れであると、人皆感ずる事也。

眞田記



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    信繁「人生の悲哀を感じますね」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    まぁなんだ
    親父が生きていて大坂城の軍権握れても対して対抗できなかっただろう

  3. 人間七七四年 | URL | -

    粘れば豊臣恩顧の大名が決起するという大前提からして希望的観測だからなあ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    まあ現実は遥かに家康の方が老獪だったんですけどね

  5. 人間七七四年 | URL | -

    眞田記っていつごろ誰が書いたんだろう

  6. 人間七七四年 | URL | -

    のらりくらり引き延ばしていれば、大坂の陣の翌年に古狸は死んだのにね。
    豊臣滅ぼして安心したからポックリしたのかな。
    気を張り詰めていれば、数年延びただろうか。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    その古狸が死んだところで幕府から役人派遣してもらわなきゃ領国運営も出来ないような体質をなんとか出来ないと、戦争挑んだところで滅亡必至だけどな

  8. 人間七七四年 | URL | -

    家康が豊臣及び秀頼を甘やかさなければこんなことにはならないような

  9. 人間七七四年 | URL | -

    武家社会において他家への口入れは御法度なので、事実上両属状態に
    なってた片桐にでも何とかしてもらうしかない訳だけど追放されたので......
    秀頼の近臣が大体悪い

  10. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも家康の援助なしに機能しないような体質なんやから潰すか徹底的に教え込んでわからせるしかない

    真面目で公私混同を嫌う秀忠からすれば統治もできないダメ大名をいつまでも面倒みる義理はないし

  11. 人間七七四年 | URL | -

    瀬田が防衛ライン
    つまり京洛は制圧して、朝廷を支配下に置く、
    というのは当たり前かつ、
    なんでそれやならかったんだよ…と、
    当時の人間もみんな思ってたんだよね。
    なんなら京都人も。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    残ってるのが、戦国時代のゴミみたいなんばかりだからな。

    家臣の履歴見て、も少し立ち回ろや、ひでより・・・。

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