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御自身御取り立ての侍によって命を失われたこと

2020年03月08日 15:35

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/08(日) 11:04:03.83 ID:T94EJuRk
天正十年には正二位右大臣平信長公、嫡男三位中将信忠卿御父子、甲斐国へ御出馬有りて武田四郎勝頼を討ち果たし、
瀧川左近将監一益に関東八州切り取りにし、それより出羽奥州まで打ち平らげよと遣わした。

その頃、次男北畠中将信雄朝臣は伊勢国ホクスミという所へ、大河内の城を移され松ヶ島と改められた。
また、土佐国守護の長宗我部より、四国の大将を申し乞いければ、三男神戸三七殿に四国を給わって大将に
遣わされた。この時、関安芸守盛信は江州日野に預け置かれていたが、勘当を許され、流石文武を得たる者なればとて、
本領伊勢亀山を給わり三七信孝へ付けられ四国の御供に遣わされた。彼は蒲生賢秀の娘婿であったので、日野よりも
結解十郎兵衛を盛信へ付けられた。
こうして、信孝は一万五千余騎の人数を揃えここに神戸を立って摂津国住吉に下着された。

この時、羽柴筑前守秀吉は近年播磨国に在って中国毛利右馬頭輝元と合戦し数ヵ国を切り取ったが、将軍(信長)が
今度西国に出馬あって、九国二島(九州全域)まで太平に帰せんと宣いて、諸勢に触れさせられ、、京都にて
御勢を待たれるために、先手、手廻ばかりを召し具され、信長公、信忠卿御上洛されて仮に京都に御在されたのだが、
同六月二日、丹波守護明智日向守光秀が謀反を企て、二万余騎にて攻め上がり、先ず信長公を本能寺に取り囲み、
攻め奉った。この時戦うべき士卒も無かったため、将軍も叶わせ給いはて、遂に御年四十九歳にて御腹を召し果てられた。

次に信忠卿を二条の御所に取り囲み、御腹召させ奉る。御年二十六歳にお成りであった。

数度の大事を逃れられてきた将軍(信長)であったが、光秀という御自身が御取り立ての侍によって命を失われたこと、
御果報の程を申すも中々口惜しい事共である。

氏鄕記

「氏郷記」より天正十年の本能寺の変までの様子。長宗我部が信長に敵対したのではなく、むしろ信長に四国の総大将を
求めて来た、という描写はちょっと面白いと思いました。



906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/08(日) 19:08:14.52 ID:sPex4AbI
>>905
信長が将軍というのは大将くらいの意味なのか、はたまた征夷大将軍なのか。いろいろ特殊な史料ですね

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/08(日) 20:15:30.80 ID:U+SZeuSt
ヨーロッパの人は大名のことをショーグンっていうよね

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/08(日) 20:38:14.12 ID:gAuGI6S0
ショーグンがジェネラル的な訳だと日本の王と伝わらないのでタイクーンなる単語が出来た

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/08(日) 23:33:22.46 ID:sPex4AbI
将軍は台風や津波ということだな

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/09(月) 19:55:32.70 ID:9Wi1g3Dz
頼朝と同じ右近衛大将になってるからかな?

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/10(火) 16:37:09.05 ID:B1PPJbD0
氏郷記を読んでみたけど、この章から急に信長公や信長卿から将軍に変わるね。
官位としては右大臣と明記(やめてるはずだけど)しているし、一般名詞として使っているみたい。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    素朴な疑問なのですが、どうして三位以上なのに信長さんには「公」で
    信忠には「卿」なのでしょうね?

    氏郷記に関連するのですが、こちらのページに
    ttps://note.com/mitimasu/n/n5fc50757ea1a
    工場長の町割りに関して詳しい検証をした方が居ました。
    こう言う調べる力がある方って凄いですね。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    自身が取り立て奴に殺されて家も乗っ取られたと聞くと信長がすごいアホに聞こえる

  3. 人間七七四年 | URL | -

    部下に暗殺されて横死したという結果だけ見たら間抜けな死を迎えた連中と大して変わらんからね

  4. 人間七七四年 | URL | -

    でも本能寺ほど何の前兆も無く逃げようの無い、謀叛人側も殆ど誰の支持も得られず死ぬリスクがクソデカい(実際そうなった)手口で本当にやっちゃうなんて歴史上でもそうそう無いだろうからアレでやられたのを以て油断扱いは正直酷だと思う

  5. 人間七七四年 | URL | -

    人生の絶頂!まだまだ行っちゃうよ〜!

    てな感じで個人としても、織田家一族としても更なる隆盛を極めようとした所で比喩でなく天国から地獄と言うのが、史上類を見ない人物だよなぁ〜、織田信長って。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    大臣かどうか、かな?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    下にある蘆名盛隆殺害事件のように、例え主君でも許せん事があったら差し違えてでもぶち殺す気風が戦国時代にはあるから、本能寺の変も山ほどあった主君殺害事件のひとつなのだと思う。
    たまたま信長が小領主ではなく天下人で、光秀が葉武者ではなく方面軍司令官だった事で大事になったけれども。
    当時の人も混乱しつつ「あーまたか」って思ってたかもしれない。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    堺の家康を討ち取る密命を受けて、信長と光秀が兵を用意してた説が面白い。
    それを光秀に逆手に取られて、無警戒だった信長がやられたと。
    本能寺の時点で徳川は洋ナシだったと。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    そ、それは戦国板のアイドルあけっちーの珍説では!?

  10. 人間七七四年 | URL | -

    >土佐国守護の長宗我部より、四国の大将を申し乞いければ

    はて??

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    前兆がなくても用心するのが基本だと思う。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    確かにそうだけど本能寺みたいなケースへの警戒だと軍を連れてくる重臣Aの謀叛に備えて重臣Bとその軍を近くに置いといて、
    更に重臣B軍の謀叛に備えて親衛軍も控えさせといて、更に親衛軍の謀叛に備えて…みたいな無限ループになって考え出したらキリが無いからね
    信長に限った話じゃ無いけどよっぽど露骨に謀叛がメリットになる状況になってない限りある程度家来を信じるしかない
    常識的に考えれば実は裏で光秀が殺されそうになってた!とかでも無ければあそこで光秀が突発的な謀叛を起こすメリットは殆ど何一つとして無かった訳だし

  13. 人間七七四年 | URL | -

    結果論だけど、生涯最後にして最大の危機を迎えたのは信長の油断故に他ならない。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    信長と信忠が手薄で京にいる
    各方面軍の司令官は遠方
    近畿は自分の管轄
    関所などがない

    こんな条件でナンバーワンになれると言われたら誰だって同じことするやろうなと

  15. 人間七七四年 | URL | -

    *8 用無しどころかむしろ重要度が増すんですが旧武田領は不安定やし、北条も敵対姿勢を見せてる。こんな状況で徳川まで敵に回すほど東国の地盤は盤石やない

  16. 人間七七四年 | URL | -

    確かに信長は不用心過ぎた面は有るかもしれないけど、余りにも過剰過ぎる用心は家臣から自分達は信用されてないのではないかと思われてしまうからそれも宜しく無いかと思う。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    城主として期待に応えねば +4
    織田家宿将の誇りがある +2

    信長と信忠が手薄で京にいる -4
    各方面軍の司令官は遠方 -3
    近畿は自分の管轄 -2
    関所などがない -2

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