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尼子再興軍挙兵

2020年03月14日 15:07

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/14(土) 02:56:33.70 ID:HrhviztH
尼子伊予守義久の伯父である、孫四郎久勝、同弟・助四郎通久は(正確には義久の祖父・政久の弟・国久の孫であり…、
親族としてはなんと呼ぶのだろうか)、さる永禄九年十一月、雲州富田城が没落した後は、ここかしこに身を潜め、
牢屈の悲しさに涙が尽きる日もなかった。洛陽(京都)東福寺に隠蟄し、出家遁世の姿に身をやつし、時が来れば
義兵の旗を挙げ素懐の恨みを晴らさんと、年月を風に吟し月に嘯き、怨みを山陰の雲に憤って明け暮れて座していた。

その頃、尼子一族譜代の郎従である山中鹿介幸盛。立原源太兵衛久綱、加藤彦四郎経盛も、京の嵯峨の辺りに居たが、
大江羽林(毛利元就)が九国(九州)を攻めて大乱に及ぶと聞くと、「今こそ、義兵を起こし鬱憤の旗を押し立て、
山陰道に討ち向かい、尼子累代の本領を取り返し、勝久兄弟の素懐に達するのは如何か」と議した所、
みな「尤も」と了承したため、急ぎ二条の御所に参り、委細を訴え出た。

織田信長はこれを聞くと、大いに喜んで言った
「関東では武田信玄が陰謀を呑み、西國では大江羽林が毒石を含んでいる。天下始終の魔障は、彼ら両勇である。
昔、漢の高祖は義帝を立てて秦の代を滅ぼし、周の武王は木主を作り殷の代を傾けた。幸いにいまここに、
勝久、通久の兄弟がいる。早く彼らを大将に立て、義兵の旗を挙げるべし!」

そう応じられ、御教書を調え、丹波、但馬の勢二千余騎を以て加勢に付けた。これに尼子孫四郎勝久、助四郎通久の
兄弟は、蟄望たちまち発し、虹龍が一陽の気に乗って天に上る如きであった。
尼子譜代の郎従に一言、芳恩の武士への催促を促した所、恨みを一刀の刀に掛けた兵たちが馳せ集まり、程なく
七千余騎となった。

雲州軍話首

しかし信玄と元就で「天下始終の魔障」とは、また偉い言われようですね。



762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/03/14(土) 07:31:17.81 ID:OFEQsci3
>>760
>天下始終の魔障
>虹龍が一陽の気に乗って天に上る如き
言い回しがいちいちかっこいいwこういうのが講談の元になったというか発展したのかな
現代にも講談→小説→漫画としてつながってる気がする

764 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/03/14(土) 10:43:25.29 ID:CEi3z3Cr
>>760
>正確には義久の祖父・政久の弟・国久の孫であり…、
親族としてはなんと呼ぶのだろうか

「はとこ」と言う
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    信長「でもお前ら、見捨てるけどね!」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    なんつーか尼子の連中、
    出雲を支配してる頃からずっと、
    激突力はあるんだけど、持久力に欠けるんだよね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    いつの時期をもって持久力云々書いてるのかわかんないけど、再興軍の話なら毛利が地盤固めてる土地に、領地と言う固定収入を持たない織田の後援だけで持ってる軍で攻める訳だから難しいと思うよ。
    経久時代も出雲西部方面は三男や地侍の不満から来る反乱起きて内乱してるし、長男早死にしたために、綺麗に体制固めて尼子家不動の支配体制作れなかったのは痛い所だと思う。
    最大版図作った晴久も早死にするし。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    大内の大軍相手に粘りまくって撤退に追い込んだ晴久さんのことを忘れないであげて

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    あの時は烏合の衆かつ大内義隆や毛利に不満(陰徳記参照)を持った吉川興経らの国人衆を調略できたのが大きかったわね。
    籠もって後方の糧道狙った、戦い方も上手かった。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    大河元就だと晴久が高嶋政宏で義久が若手時代の中村獅童だったか
    緒形拳の経久が怖かったな
    当時経久に付いていた元就が勝ったとはいえ軍令違反した際
    本当に橋之助(当時)を斬るかと思った

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