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三村家親暗殺事件について

2020年04月05日 17:13

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/04(土) 19:49:08.24 ID:q+WRfr9i
備前、美作は残らず、播磨国数郡、備中の河東残らず、合せて百余万石を従えたのが、宇喜多和泉守直家、
岡山の城主である。

直家が未だ備前一国を手に入れて居ない時、上道郡沼城におられた。しかし備前は既に大方手に入れており、
徐々に美作国所々を切り取った。その頃、美作は雲州尼子家の支配下に有ったが、尼子は安芸の毛利に
押し落とされ、作州も毛利の手下に属した。その隙きを見て宇喜多は所々切り取り、備前に奪い取った。

毛利はこれを聞くと、毛利家より備中松山の城主、三村紀伊守家親に申し付け
『作州へ出勢して、作州を鎮めるように』
として、紀伊守は一万余の人数にて出勢して、宇喜多を討ち果たし作州を取り鎮めようとしている、
との事が備前に聞こえた。宇喜多直家はこれに思った

「今、所々で取り合いをしている最中に、三村は大敵であり、簡単に取りひしぐ事はできない。
である以上、謀を以て討ち取らん。」

そう考えると、遠藤喜三郎(秀清)という侍に密かに申した

「其の方は三村家親が備中成羽に在城していた時、其の方も成羽に在って、良く見知っているという。
今度、三村の元へ密かに忍び入り、討ち取る手立は無いか?一重に頼み入る。」

このように申されると、遠藤は心安く請け合い、喜三郎の弟、修理(俊通)とただ二人で作州へ忍び行った。
三村は作州穂村興禅寺(興善寺)という寺に屯して居たのを、遠藤兄弟は忍び入り、頃は八月十八日の夜、
宵の内に三村は家臣を集め、物語していたのを、障子紙を破りひそかに鉄砲にて三村家親を撃ち殺し、
恙無く退出して、兄弟とも備前に帰った。

直家は大いに喜び、喜三郎には十万石の知行を宛てがい、彼は遠藤河内守と名乗った。
弟の修理には三千石の知行を給わった。
三村勢は主を討たれて、作州より崩れて備中へと帰った。

妙善寺合戰記

三村家親暗殺事件について



942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/04(土) 21:29:31.17 ID:CHhZfdrW
100万石って、盛りに盛ったな…

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/05(日) 00:13:22.74 ID:PDO/dKKm
「ひとえに」って漢字で書くなら「偏に」だぞ

951 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/04/06(月) 20:41:35.34 ID:ecJp4yJv
まーどう考えても百万石は無いw

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/06(月) 22:55:54.42 ID:SU3aREEw
明善寺合戦記っていつ頃の刊行だっけ
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    美作国って、どうして狭い中国地方の真ん中に国が出来たのか、不思議で仕方ない。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    めちゃくちゃ近くから狙撃して無事に逃げられたって、警備の兵いなかったのかw

  3. 人間七七四年 | URL | -

    総じて西日本の国割は細かいですよね
    鹿児島県人ですがただでさえ国力の乏しい地域なのに薩摩大隅と別れ更に種子島(薩南諸島)も多禰国だったとか
    東日本は”もうめんどいから適当にしちゃえ”感が強いですよね

  4. 人間七七四年 | URL | -

    いや山形あたりだって結構込み入ってますよ。
    実質的に置賜、最上、庄内、村上と、、、ちょっと見には分からないかもしれないけど。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    4です。
    間違えました。
    置賜、最上、庄内、村山です。
    村上は新潟だった。

  6. 774@本舗 | URL | -

    あのへんの大勢力だった吉備一族の力を削ぐために細かく割った説ね。
    有名なのはもう弱くなってからの吉備真備だけだけど。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    実質的にはそれだけ細かいにも関わらず、令制国としては
    ハイ陸奥ドーン!
    ハイ出羽ドーン!
    で済ませてるあたり大和朝廷の意識が伺えるってのが※3の趣旨では

  8. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも律令制国家の時期は実効支配が不安定な準植民地なんだから、国割なんて細かくできんでしょ>奥州
    柵の周辺しか国府の統治が及ばないのに、国割だけ細かくしても意味がない。
    実効支配が広がる時期となると武家の勢力拡大の時期と重なるから、なおのこと律令制による統治制度の再整備なんて冗談でしかなくなっとる。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    >>1
    でも美作には鉄があるから

  10. 人間七七四年 | URL | -

    鹿児島も元は日向国が今の宮崎鹿児島両県総てを包括する巨大国家だったんだよね
    で、隼人の反乱に懲りた大和朝廷が薩摩を分離、更に大隅を分離と細かく千切っている
    宮崎は明治以降も現志布志市周辺を鹿児島に取られたりとガンガン小さくなっていった

  11. 人間七七四年 | URL | -

    そう言えば、宮崎県と鹿児島県って県境って確定してないよね?韓国岳の県境も変だし。

    武士になると米給与が国経営の基本になるから、乳製品で納めてたみたいなのも廃れるんだよね。放牧するなら稲作(五穀)やれみたいな。
    武士の領土が北海道の南端止まりだったのも、その武士の給与体系に原因があったんじゃない?
    律令体制のままなら、まだ領土は北上出来たかも。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    武士の時代=統治の細分化の時代だからね。
    土地が武士個々人のレベルで細分化されて大規模事業が出来なくなるから、農地面積当たりの収穫効率が高い穀物に生産が集約してしまう。
    質素倹約が尊ばれる方向に文化形成も進んだから、商品作物が喜ばれる訳もなく。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    米≒通貨だったから商品作物よりそっち優先するわな。米価が下がってきたり米とれる場所が少ない薩摩藩とかだと力入れていたけど。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    鹿児島全体が米作に向いてない、芋ばっか食ってるは近世のイメージよ。
    今もそうだが、日置や川内、出水のあたりは一大米どころ。
    近世に入るまでの米は単位収穫高で南国の方が断然有利な作物。
    薩摩国はそこでの収穫目当てににまず最初に分けたと考えるのが自然。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    8世紀あたりの朝廷の人間からすれば、まだ開発しがいがあるように見えた南国に対し、
    ローム層の痩せた土地と沼ばっかという報告聞いたら、まあ大雑把には分けるよね。そりゃ。

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