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天正五年十月、和州信貴山城攻め顛末

2020年04月16日 17:15

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/16(木) 00:12:26.93 ID:FJJW3kJb
天正五年十月、和州信貴山城攻めがあった。
この城主である松永弾正少弼久秀は、大阪の附城を守っていたのだが、信長公に恨みを含み、本願寺門跡、
雑賀の兵を語らい、大阪を退き信貴山城に立て籠もった。それにはこのような理由があった。

家康公御登城の時、久秀も参会したのだが、信長公が家康公に向かってこのように言った

「この翁は松永久秀である。彼については天下に及び難い事が多い。彼は公方足利義輝を弑し奉り、
主君三好義長(義興)を毒殺し、三好一家(三人衆)と戦い東大寺を焼いて大仏を滅ぼした。
また三好長慶次男義継(実際には養子)を欺いて永禄八年より同十一年まで天下を守り大いに奢り、
終に義継を離れこれを殺した。」

久秀は赤面し、額に汗し、頭より烟を立て、その憤りを以て謀反を企んだ。これによって十月、
城介(織田)信忠は大軍を率い和州に御発進され、佐久間信盛、明智光秀、筒井順慶らも大阪の
対城を出て河州より向かい、その通り道であり、久秀の従党である片岡城を攻め落とし、城主・森、海老名を
討ち捕らえ、十月五日に信忠と合流し信貴山城の久秀久通父子を攻めた。

しかし松永父子は激しく防戦し、味方が不利と成った時、佐久間信盛筒井順慶と相談し、雑賀の兵であると
謀って、信盛の兵を交えて城中に入れたいと告げた。そして雑賀の兵に扮した信盛の兵が、順慶の兵と
追いつ返しつつ挑み戦った所に、久秀は予てより雑賀の者と謀り合っていたので、城門を開いて彼らを
引き入れた。

十月十日、信盛、順慶は、先に入れた兵の手引きにより城に入ると火を放った。久秀は天守に上り、
「たとえ骨と成っても信長の最後を見届けようぞ!(タトヘ骨トナリテモ信長ヲ見ハテン物ヲ)」と
言って自殺した。右衛門佐久通は生け捕りと成って斬られた。久秀の悪逆積り、東大寺を焼き
大仏を滅ぼしたのも十月十日であり、その日に滅亡した事も、世に不思議を成すと云われた。

佐久間軍記



980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/16(木) 11:49:48.22 ID:O4ZY5yYd
義継を攻め滅ぼしたのは誰だったからしらw

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/16(木) 21:34:47.03 ID:SRx78Wxe
ノブさんの脳内ではそうなってるのかもしれん…

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/16(木) 22:01:43.47 ID:nEUH2pgM
ダンジョー多過ぎ問題

983 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/04/18(土) 17:35:20.90 ID:25IT3XhX
佐久間軍記だから当然かも知れんけど、信盛さんの活躍が記されてるね

984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/18(土) 23:30:44.65 ID:tlLr7j1U
石田軍記には三成の活躍が?

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/19(日) 15:49:05.80 ID:/eXYOJJ0
ある意味「活躍」は描いているな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この有名な話って改めて見ると久秀を希代の梟雄と印象付ける一方で、怒るってことはやっぱり久秀って少なくとも長慶-義興には忠実な家臣だったんじゃね?ともとれる逸話だな
    まぁ創作ではあるだろうけど

  2. 人間七七四年 | URL | -

    将軍殺しの主犯は三好義継(三人衆)だし息子の久通は参戦してたけど久秀は大和で国人衆と睨み合いの最中
    何でもかんでも久秀のせいにされたらたまらんわな
    松永家は大名旗本としても滅亡しているから何でも書きやすかったんだろうけどね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    創作なのに爆死してないな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    979本文を読む前に
    980を見て
    とっさに東北地方を連想しまう伊達者

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    そっちは「まーくんのお父さんを道連れにした人」程度の認識でしかないと思われる

  6. 人間七七四年 | URL | -

    三好義継を滅ぼし、難治の河内・和泉を相応に治めてたんだから佐久間信盛も
    そんなに無能じゃなかろうとは思うんだけどね。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    信盛も居城にお籠りする気概を

  8. 人間七七四年 | URL | -

    佐久間折檻状は死ぬ気で働くか高野山でも引き払うかどちらかにしろと言う内容で信長も本当に高野山に行ってしまうとは思ってなかったらしい

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    色々言われているけど、わざわざこうすりゃ現状維持はしてやるよって道を示しているから
    本気で追放する気はなかったんだろうな
    しかも具体性なく”頑張れよ”って指示だしね

  10. 人間七七四年 | URL | -

    隠居させてくれ、関東なんかにいとうないと嘆いてた滝川一益も、その頃には山に登った信盛の気持ちも分かったんじゃないかね

  11. 人間七七四年 | URL | -

    信長「やる気が無いなら帰れ!」

    信長「本当に帰る奴がいるかばかぁ!」

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    これをやったのが新卒とかじゃなくて副社長というね

  13. 人間七七四年 | URL | -

    死に物狂いでどっか攻め落とせ、って信盛には何処を期待していたんかな
    本願寺は事実上の降伏をした直後だし

    四国の長曾我部?甲信の武田?中国の毛利?あるいは上杉?
    どれも担当の方面軍がすでに居そうな…

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    今更どこかの指揮下に入るのもプライドが許さなかったんでしょうかね

  15. 人間七七四年 | URL | -

    追放(出奔)されるまで関東の取次も信盛がやってたから残ってれば一益の代わりに東国送りだったかも

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