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細川幽斎、聚楽第行幸の際の代作

2020年04月18日 18:55

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/18(土) 17:22:12.33 ID:Ref011sU
細川幽斎、聚楽第行幸の際の代作


天正16年4月16日、秀吉が聚楽第に後陽成天皇を迎えた行幸の際、和歌御会が催された。
歌題の「寄松祝」に合わせて公家や武家などの参加者が和歌を提出したが、このとき
幽斎は豊臣秀次、足利義昭、豊臣秀長、蒲生氏郷の和歌を代作している。(『衆妙集』)

全部解説するのは大変なので、代作した秀次の歌だけ紹介。

をさまれる 御代ぞとよばふ 松風に 民の草葉も 先づなびくなり
(平和な治世であると呼び続ける松風に、民衆も草葉のように真っ先になびくのである)

この和歌は藤原定家の「をさまれる民の草葉を見せ顔になびく田面の秋の初風」や、
「をさまれる御代にあふぎの風ならば四方の草葉もまづぞなびかん」などを踏まえて
後陽成天皇の治世を慕って心を寄せる民の様子をうたうものとなっている。


幽斎自身は聚楽第行幸には参加していないが、晴れの場での代詠を頼まれることは
歌人として名誉なことであった。



16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/19(日) 11:25:50.53 ID:/Aka1nDI
>>14
幽斎さんじゃなくて忠興ちゃんが出てたんだね

君が代の長きためしは松に住鶴の千とせをそへてかそへん
【『豊鑑』第三 内野行幸 天正13年(1585)4月 丹後侍従豊臣忠興(細川忠興) 後陽成天皇行幸の際の歌会にて】

豊鑑@toyokagami_bot にいろんな人の歌が出てきておもしろい
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    聚楽台って装飾が凄く派手だったみたいだけど、秀吉系の装飾が続いてたら、
    日本の建築装飾って、東照宮みたいな複雑な装飾がもっとあったんじゃないかなぁ。
    大名がこぞって、屋敷門を派手にしてたし。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    多分だけど徳川みたいに3代目あたりで流行終わる気がする

  3. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉の茶の湯でも、派手派手茶室や、織部みたいな奇抜な茶器みたいに自由奔放だったのが、
    徳川時代になると、天下の正道がそんなヘンテコな茶器使えるかと、奇抜な茶器は廃れさせて、大人しく地味になってしまうんだよね。

    豊臣天下なら、コスプレ大会とか、大茶会とか、もっと賑やかな文化が領主レベルの教養として残ってたんじゃないかな。
    能狂言が昔言葉のままなのも、方言による意思疏通を解消させる為に、徳川幕府が奨励させたとか。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉の茶の湯でも、派手派手茶室や、織部みたいな奇抜な茶器みたいに自由奔放だったのが、
    徳川時代になると、天下の正道がそんなヘンテコな茶器使えるかと、奇抜な茶器は廃れさせて、大人しく地味になってしまうんだよね。

    豊臣天下なら、コスプレ大会とか、大茶会とか、もっと賑やかな文化が領主レベルの教養として残ってたんじゃないかな。
    能狂言が昔言葉のままなのも、方言による意思疏通を解消させる為に、徳川幕府が奨励させたとか。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    お上が発破かけたり取り締まったりしたくらいじゃそうそう変わらないよ
    歌舞伎なんてまさにトレンドと規制の狭間であの華麗さが生まれたんだから

  6. 人間七七四年 | URL | -

    代作を頼んだ側も一流に近い教養人なのがまた凄い
    工場長なんて自分で詠んでも結構イケるんじゃないかな

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