織田信雄、敵を助けた小姓を
丹羽左兵太は織田常信(信雄)の小姓である。
長久手合戦のとき池田の手に石黒善左衛門、常信の手に石黒善右衛門がいて二人は伯父甥であった。
常信の手にいる石黒と丹羽は仲が良かったが、一戦で丹羽は池田の手の石黒と槍を合わせた。
丹羽の下人が「これは味方の石黒とは一家ですよ」と申したので、石黒と仕合を止め
(丹羽は)その先で敵一人に槍を付け首を捕ったが、味方の大兵が来て首を奪われてしまった。
「これ程多くいる敵を討たず人の討った首を奪うか!」と言って先に行きまた敵を討ったという。
その後東照宮(家康)へ(徳川家臣の)西尾丹後が「常信の小姓が、仕掛けた敵を助けました」と
申し上げたので、東照宮はそのことについて常信にお尋ねになられた。
常信は敵を助けたと申すのはどうかと思われて「左様の者はございません」と返答された。
その後東照宮が常信の所へ越されて、長久手での勝利を喜ぶ御話をされた後
「最前にいる御小姓に手柄をいたした者がいるそうですが、何と申す者でしょう」とお尋ねされたので
「只今お酌をしているのは(小姓ではなく)余の倅です」と常信は申されたという。
このとき佐平太[十九歳だったという]は、お酌取りとして御前にいたという。
――『烈公間話』
コメント
人間七七四年 | URL | -
わかりにくい話だなぁこれ。
( 2020年05月16日 13:40 )
人間七七四年 | URL | -
家康の意図をどう考えるかで解釈が真逆になるな。
1.ノブオ実はできる上司説
家康が敵を逃した事を責めるつもりだった場合。一度目はもちろん二度目のカマかけも察して部下を見事に庇った出来る男、ノブオ
2.ノブオやっぱりバカだった説
敵を逃した理由が尤もだったら褒めようと思っていた場合。一度目はその意図を察せられずにノブオ、ウソをつく。二度目は、理由を知り納得して褒めてやろうと思った家康、バカでも分かるように「手柄を立てた小姓」と言うも、勘繰りすぎたノブオやっぱりウソをついて全て台無しに。
さあどっち?
( 2020年05月16日 14:15 )
人間七七四年 | URL | -
ドライに殺し合いだけやってるわけじゃないとわかる話
( 2020年05月16日 18:46 )
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