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先年御腹めさせ候刻を佐渡覚悟を以て申延候

2020年05月27日 18:18

林秀貞   
93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/05/26(火) 22:55:16.97 ID:wLd/15L7
一、去る程に信長公の一大人(家老)の林佐渡守(秀貞)、その弟の林美作守(通具)、柴田権六
  (勝家)が申し合わせて、3人が勘十郎殿(織田信勝)を守り立てようとして既及逆心との由
  で、風説取り取りであった。

  信長公は何と思し召したことなのか、5月26日に信長と安房殿(織田信時)とただ2人で清
  州から那古野城の林佐渡の所へ御出になった。

  「よき巡り合わせなので、御腹を召させよう」と弟の美作守が申すのを、林佐渡守はあまりに
  面映ゆく存じたのか「三代相恩の主君をおめおめとここで手にかけ討ち申しては、天道が恐ろ
  しい。どのみち(信長は)御迷惑に及ばれるのだから、今は御腹を召させることはできない」
  と申して御命を助け、信長を帰し申した。

  一両日が過ぎてから御敵の色を立て、林の与力の荒子城が熱田と清州の間を取り切って御敵に
  なり、米野城と大脇城は清州と那古野の間にあってこれも林の与力であるため、一味して御敵
  を仕った。

一、(信勝との和睦の時)

  林佐渡守のことは、これまた召し出されまじきことではあったが、先年御腹を召させるという
  時のことを、佐渡は覚悟をもって申し延べた(先年御腹めさせ候刻を佐渡覚悟を以て申延候)。
  その子細を思し召し出されて、このたび御宥免なされたのである。

  ――『信長公記 首巻』



94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/05/27(水) 11:03:28.43 ID:LokIAzXC
秀吉の信雄三家老懐柔を思い出した
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    許したが忘れてはいない

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