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将軍義輝の帰洛

2020年05月30日 17:08

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/05/30(土) 13:22:42.00 ID:pexHAR2w
明けて天文二十一年(1552)春になると、去年以来、佐々木六角義賢より三好筑前守長慶へ様々の計議を
廻らせて、公方家(足利義輝)御入洛の義を取り扱い、この春に又、楢崎某を使いとして猶この事を催した。
長慶方よりも、日野上人を使節として色々の陳答有り、徐々に和平が相調った。
この時、三好長慶の申し述べる趣きは

『私は公方家に対し、元より異心はありませんが、私の父の仇である細川右京兆晴元が猶も私を亡ぼそうと
される故に、度々合戦に及び、この時公方家も晴元に一味ましますに依って、私は心ならずも御敵と成った
事は、世の通知する所です。然れども、公方家の御命の危うい時は、私はわざと陣を引き去って忠志を立てた
事多い。

然るにかの晴元は、私の一族である宗三入道(三好政長)の讒言を信じて、亡父海雲入道(三好元長)が
忠功の者であるのに、忽ちに殺された。その恨みは骨髄に徹するものではありますが、元来晴元は主君の
筋目であり、その上、私は武功を以て宗三を討ち取ったので、先ず父の仇は報じたるものであります。

今は、晴元が世に望み無く隠居され、その御子に家督を譲った上でこの長慶に渡されるという事であれば、
三好家が後見してその御子を取り立て参らせます。そうなれば、我等は晴元の御命を失うまでの事は
要求しません。この条件に同心され、晴元が剃髪の姿と成って居館を開かれれば、現在の管領には
細川氏綱を申し成し、右京太夫に補任有らしめ、その後、晴元の御子成人の時、管領職を与奪せしめ、
再度かの御子に京兆の家を相続させ、管領に申すべきです。

この条件を受け入れ、公方家は元のように御入洛され、御政務有るべし。』

長慶が申す趣、愚ならずして、公儀御内談一決の上で、御約条を交わし、和睦はここに調った。
これによって、同正月二十八日、公方家は江州朽木谷を立って御帰洛され、元の如く二條の御所に
お入りに成った。

この時、細川晴元の嫡子・聡明丸(細川昭元)といって五歳であるのを御供に召し連れられ、人質のようにして
三好家に渡された。これは六角定頼の息女、義賢にとっては妹の儲けた一男である。二男は義賢の元に
預かり置かれた。この時、六角義賢も公方家の御供をして上洛し、御帰京の義を賀し申した。

細川右京兆晴元は、心ならずも髪を剃り、永川斎心月一清と名を改め、江州堅田より父子相別れて流浪した。
晴元の家人たちも、思い思いに髻を切り、出家の姿と成った者は八十人余りであった。
主従散り散りに落魄し、皆人に哀れを催した。

さて、三好長慶は日時を移さず公方家に出仕を勤め、洛中に権威を振るった。
同二月二十六日、細川次郎氏綱が上洛有って、故武州禅門常桓(細川高国)の跡目と号し、則ち家督を
相続して管領職に備わると、同三月十一日には右京太夫に補任された。舎弟の四郎藤賢も同日、右馬頭に
任じられ、典厩の家を相続した。誠に栄枯一時に変じ、皆人奇異の思いを成した。

續應仁後記

将軍足利義輝の帰洛について。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この恩情采配にもかかわらずこの後長慶に喧嘩を売り続ける義輝ェ…

  2. 人間七七四年 | URL | -

    足利,細川,三好ほか畿内国人衆…みんな同じ乗りで離合集散の繰り返し
    信長が全部粛正しなきゃ天下は安定しなかった

  3. 人間七七四年 | URL | -

    長慶も親父の敵に良く仕えられたよね?こういう部分が戦国時代の豪胆さと恐ろしさだと思う
    今は三好家が将軍襲ったのもやむを得ない的な見方があるし、実際なぜ義輝は余計なことしたんだと思う

  4. 人間七七四年 | URL | -

    従来は単なる長慶の傀儡と見られてた氏綱も、最近では自分の名での発給文書が結構発見されているんで三好家最盛期でも京兆家当主としての独自裁量を維持していたと見直されてんだよね。
    旧来権威を相当程度担保してくれる付き合い易い相手だったろうに、義輝も晴元も自力で1世紀以上前まで権威回復できるつもりだったんかねぇ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    それは江戸時代の貧乏公家みたいなものをイメージするからや。

    中世における権威や家格は、その格に相応する経済的基盤、消費力が常にセット。
    三好は将軍や吉兆家当主を殺さないし、形式的な権威も認めるかもしれないが、
    それ以上ではなく、将軍の格にふさわしいレベルの食い扶持までは保証しない。
    公家ならば家を畳むか、ひっそり暮らすかだが、武家ならば奪い取るしかないだろう。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    公家だって自分の領地の下向したんですよ…

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    三好が将軍家や京兆家の経済基盤を奪ったというのは初耳だ
    御料所や京市中への課税、礼金のような主要な収入源には手を付けてないと思ってた

  8. 人間七七四年 | URL | -

    最近三好研究で有名な天野氏の本だと長慶は永禄改元のときに本来不可欠な将軍(義輝)

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    三好による横領も一部に見られる一方で、
    和平期には将軍権力が及ばない地域の御料所について、義輝は三好の軍事力を利用して回復を図ったりもしてるよ。
    そもそも義輝が帰洛してる時期には三好は京周辺を完全に義輝に返還したりしてる。
    京兆家については順序が逆で、晴元との衝突が先で横領はその後。しかも先述のとおり、晴元の後に鞍替えした先の氏綱は、晩年まで自身の支配地域を保全されてる。
    だからこそ奉公衆なんかも軍事力を一定程度維持できていた訳で、単純に経済基盤を奪ったから対立したというのは違うんじゃないかなあ。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※8途中送信しちゃった
    天野氏の本だと長慶は永禄改元のときに明らかに義輝をハブってたりといずれはガチで将軍権威を否定していくつもりだったんじゃねって考察してたな。
    このことがそれまで同盟を堅持していた畠山氏との手切れをはじめとして各大名の反発を招いて結局は妥協せざるを得なかったんじゃないかとも

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