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真田信之の次女まさ、桝を継ぐもの・いい話

2009年02月08日 00:02

小松姫   
427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/07(土) 20:29:42 ID:7Ow4giSZ
桝を継ぐもの

真田信之の次女はまさといい小松殿との子とされている
彼女は22歳で夫佐久間勝宗と死別し実家に戻った
父信之の死後、落飾し見樹院と号し化粧領で隠遁生活をしていた
彼女の化粧領の年貢は五升桝で計測されていたのだがこれが実質四升七合の桝
百姓は彼女の慈愛に感謝したと言われる
が、どこにも面倒な奴達はいるもので…
まけてもらった三合分がどうしても素直に受け取れない
彼等は見樹院が毎朝庭に一抓みの米を蒔いて雀の餌にしているのを思い出し
「雀の餌にしてくれ!」
と次々に見樹院に渡して帰ってしまった
見樹院は深々と頭を下げ素直に受け取ったとされる
後日、松代藩の江戸普請に赴く村の若者に見樹院から餞別が送られた
村人は畏れ多いと困り果てたのだが
「これは私からではありません。庭の雀からの品です」
との見樹院からの言葉が伝えらた
普請に赴く若者達はその気遣いに感謝し士気も大いに上がったそうな

実はこの五升桝
元々は真田信綱が作ったものである
彼の死後、娘が信之に嫁いだ際に信之が受け取り藩政にも使用したとされる
これが信之から娘の手に渡っていたのだ
他に実質九升五合の一斗桝もあったそうだがこれは信之の代で失われている
真田三代記では松代転封の信之一行を領民が別れを惜しんで涙する場面があるがあながち誇張ではないかもしれない




428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/07(土) 20:35:34 ID:0BKMuQu1
森忠政「俺が松代から出てく時は喜んでたくせに領民どもめ・・・」

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/07(土) 21:00:37 ID://IEkAn9
なのに、信之の孫の信利ときたら…
沼田は昌幸が徳川・北条を敵に回し、上田合戦をしてまでも確保した
土地だというのに。

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/08(日) 15:25:30 ID:fUP5sfcl
>>427
信之スレでは翠星石のAAでおなじみの人ですね

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/09(月) 15:02:12 ID:IQFkgHQh
>>427
信之の死後まで生きてた次女ってのも凄いはなしだな(笑)

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/09(月) 18:58:31 ID:4NQU/NUx
>>484
ぐぐってみたら、見樹院は寛文13年(1673年)に79歳で没とのこと。
となると、64歳まで出家しなかったってことなのかな? 未亡人なんだし、
実家に戻ってきてからすぐに出家していそうな気がするんだけど…

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/09(月) 19:40:25 ID:dBEQqXzb
>>487
見樹院の名は佐久間勝宗の戒名桃雲宗見廣岳院から取られたとされているので死別後すぐに出家はしていたんじゃないかな
ただ、現在で言う在宅出家の様なもので上田城・松代城(当時は松城)の城内に住み台殿・三の丸殿と呼ばれていたらしい
信之の隠居に付き従って柴村で柴殿と呼ばれていたりもしますな
92歳の父と暮らす64歳の娘…、何という老々介護

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/09(月) 20:11:09 ID:67WPTgib
後の坊っちゃんの冒頭である。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    真田信綱から伝わっていたというが、やっぱり領主と領民が近い時代だから年貢も取りにくかったのかな?顔見知りとはいわずともなんだかんだで顔を合わすからかもしれないな。

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