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『松平記』より、桶狭間の戦い

2020年06月07日 17:21

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/06(土) 22:40:28.14 ID:TUf8uXey
永禄3年(1560)5月19日、昼の時分に大雨しきりに降る。(今川義元は)今朝の御合戦
御勝利で目出度いと、鳴海桶狭間で昼弁当に参る。そこへその辺りの寺社方より酒肴を進上仕り、
御馬廻の面々に御盃を下されたが、その時、信長が急に攻め来たる。

笠寺の東の道を押し出で、善昭寺城より二手となって一手は御先衆へ押し来たり、一手は本陣の、
しかも油断しているところへ押し来たる。鉄砲を撃ち掛ければ、味方は思いも寄らぬことなので、
ことごとく敗軍して騒ぐところに、上の山からも百余人程が突いて下った。

服部小平太(一忠)という者が長身の槍で義元を突き申すと、義元は刀を抜いて青貝柄の槍を切
り折り、小平太の膝の口を割り付け給う。毛利新助(良勝)という者が義元の首を取ったが、新
助の左手の指を義元は口へ差し入れ、食い切られたと聞く。

義元の御馬廻衆も随分働いたため尾州の物頭の佐々隼人正(政次)、千秋新四郎(季忠)、岩室
長門守、織田左馬允、一色などと申す良き者が、数多その場で討死した。

御先衆で討死致した衆は、三浦左馬助、斎藤掃部助、庵原右近、同荘二郎、朝比奈主計、西郷内
蔵助、富塚修理、松平摂津守、富永伯耆守、牟礼主水、四宮右衛門八、井伊信濃守(直盛)、松
平兵部、温井蔵人、松平治右衛門、その他60余人、近習1人も残らずその場で討死なり。

――『松平記



115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/07(日) 04:41:47.74 ID:Jsn8uRP9
>>114
大雨だと鉄砲使えなくね?

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/07(日) 15:24:03.51 ID:FjC4Cc4v
俄か大雨に紛れて接近→晴れてから襲撃ってのが桶狭間の流れ
まあ、所詮は他家と他家の話の上
義元本陣にほとんど家康系がいなかったとかの事情で詳細には書く気がないのかも

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/07(日) 17:25:34.03 ID:E7+MQt/A
>>116
信長公記が底本と分かるな

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/07(日) 17:30:27.64 ID:60NDTf3c
信長公記とは内容違うよ
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    佐々,千草隊と信長本隊の挟み撃ち
    信長隊が迂回して後方から奇襲した話の初出が松平記と言われてる

  2. 人間七七四年 | URL | -

    青貝柄ってなんとなくお高そうな響きだ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    織田軍も結構被害が酷いんだよな
    よく物語としては東海より京を目指したから三河に攻め込まなかったって論調だけど
    実際のところ追撃する余力が皆無だったんだろうな
    もし清洲同盟がまとまらなかったら信長のその後はどうなっていたんだろうな

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