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週刊ブログ拍手ランキング【06/04~/10】

2020年06月10日 17:11

06/04~/10のブログ拍手ランキングです!



『松平記』より、桶狭間の戦い 20

桶狭間の戦いと熱田町口の紛争 13

『三好の平和』 12
左衛門佐ほどの人の無穿鑿はあってはならない 8

曲者めが、また先へ廻った 7
四国に行って魚の餌になるがましか、ここにて死にたるがましか 7
この日、骸を城外に晒した。 6

山形県長井市「草岡の大明神桜」 5
揖斐落城のこと 5
揖斐氏顛末 4



今週の1位はこちら!『松平記』より、桶狭間の戦いです!
先日、大河ドラマ『麒麟がくる』でも描かれた桶狭間の戦い。あちらでは、おそらく大石泰史先生が唱えられていた、今川軍が
占拠した城や地域に軍を分散させていたのではないか、という説を用いていましたね。『甲陽軍鑑』にある今川軍の乱取りの
事も採用していました。
こちらの『松平記』の桶狭間は、今川軍が油断していた所への奇襲、という内容ですね。
同時代、近時代史料の中でも、桶狭間の戦いについての認識が様々なのは、結局は、おそらく信長も含めてこの合戦の
全体像を把握できていなかったからなのだと思います。それぞれの立場に依って、それは正面攻撃であり、或いは奇襲であり、
或いは甲陽軍鑑にあるような騙し討であるという印象が有ったのでしょう。今川だけでなく織田軍にとっても、おおよそ混乱の
中の戦いであったのではないか、そう想像します。
桶狭間が後世所謂「名合戦」となったのは、ただ強敵である今川義元を討ち取ったと言うだけではなく、本質的には信長が
その戦後処理を非常に上手くやり、結果的に信長晩年に至るまで尾三境目をほぼ安定させ、信長勢力が西へと拡大する礎と
成った為でしょう。
討ち取られながらも義元やその近習、家臣たちの勇猛な戦いぶりが描かれていることも含めて、様々な考察の出来る内容
だとも思いました。

2位はこちら!桶狭間の戦いと熱田町口の紛争です!
服部友貞は尾張服部党の棟梁であり、尾張河内(海西郡)において一向門徒を纏めていた、と言える人物ですね。
早くから信長に従うことを拒絶しており、この記事のように、桶狭間の折も今川と連携していました。
その後も、彼は伊勢の北畠具教に仕え信長との戦いを継続していたようですが、永禄11年正月、信長の刺客により
切腹に追い込まれます。彼の存在が尾張と伊勢との紛争要因となっていたわけで、戦国大名の戦いの主因といっていい
境目争論の典型と言って良いかも知れませんね。また一向門徒の取りまとめ役であった彼をそのような形で滅ぼした事が、
長島一向一揆の原因の一つともなったと言えるでしょう。
信長と伊勢、また一向宗との関わりを見る上で、わりとキーポイントとなる人物についての挿話だと思いました。

今週管理人の気になったお話はこちら!『三好の平和』です!
こちらは京より将軍義輝を追放しながらも、畿内において平和を成し遂げていた三好長慶についてのお話ですね。
この事は足利将軍の、特に京や畿内近国における権威を大きく損なわせ、またこの「先例」は、後の信長の、足利義興追放後の
あり方に関する重要なモデルケースと成ったとも言え、一種のターニングポイントともなった時期だとも思います。
三好政権は、後の信長政権に比べて良く言えば穏健、悪く言えば消極的な存在と捉えられることがあります。
ただこのような記事を読むと、個人的には三好の政治力、調整力の高さ故に、信長・義昭政権のように、周りを全部敵に回す
しっちゃかめっちゃかな状況にさせなかったため、信長のような強硬さは必要なかったと捉えるべきではないか、なんて考えます。
そんな事を思わせてくれた内容でも有りました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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