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大船検分と茶の湯

2020年06月19日 18:04

291 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/06/19(金) 11:40:20.33 ID:eM6MrUNt
大船検分と茶の湯

1578年9月30日、織田信長は第二次木津川口の海戦で活躍した大船の検分の為、昵懇の公家、重臣、側近を引き連れて堺の港へ赴いた。
大船は九鬼嘉隆がのぼりや旗指物をたてるなどして飾り立てており、堺衆は信長の御座船に唐物の茶道具を集めていた。
その他各所から集まった船もそれぞれに武具を並べ立てるなど装飾を凝らしていた。
堺中の人々が着飾って見物に集まり、彼らが衣服に炊きこめた香りがあたり一帯に立ち込めたという。

その後、堺衆の今井宗久、紅屋宗陽、津田宗及、天王寺屋道叱の屋敷に順番に御成した。
この時信長に同道したメンバーが宗及の『天王寺屋会記/自会記』に記録されている。

・宗及の茶の席に同席した者
近衛前久、松井友閑、佐久間信盛、滝川一益

・御供衆として供奉した者
細川昭元、津田信澄、細川藤孝、佐久間信栄、筒井順慶、荒木村次、
万見仙千代、堀秀政、矢部家定、菅谷長頼、長谷川秀一、大津長昌、
河尻秀隆、三好康長、若江三人衆



292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/20(土) 03:28:51.70 ID:r6tZbjLO
河尻がいるのが興味深い

298 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/06/21(日) 11:29:41.97 ID:VyXDYm6h
有閑、佐久間、滝川がトップで
中でも息子も供奉している佐久間が別格か。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    一益この頃には既に茶席に並ぶ程の人だったんだな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    古田織部さんはいなかったのね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    そりゃ織部なんて信長配下時代は下っ端だし

  4. 人間七七四年 | URL | -

    大船にたくさんの大漁旗は翻てる光景が浮かんでしまった

  5. 人間七七四年 | URL | -

    呼ばなくても来るゲヒ殿

  6. 人間七七四年 | URL | -

    >荒木村次、

    村重の息子だよな?
    荒木村重の謀反って、第二次木津川口の前には既に籠城に入ってなかったっけ?
    第一次の転記ミス、は信長軍の敗戦に終わってるから祝勝会みたいなことやらんじゃろうし

  7. 人間七七四年 | URL | -

    米6

    6月に九鬼嘉隆らが大船を用いて雜賀衆の水軍を撃退しているからその戦勝祝いじゃないかな

    ちなみに信長公記によれば、信長の元に荒木が背いたとの注進が届いたのは10月21日

  8. 人間七七四年 | URL | -

    米7 ありがとう、よくわかった

    荒木村次はどんな気持ちで供奉したのかな。
    毛利側に鉄甲船の機密知らせるために最後の情報収集?
    それとも親から謀反の計画知らされないままに呑気に堺見物?

    その後の歴史みると後者かな
    「ちょ、親父、そのつもりなら船の写メ撮って送ったのに、茶シバいただけで帰ってきちゃったがぁ」

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