FC2ブログ

右先祖は真田伊豆守様御家来にて

2020年06月26日 18:35

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/26(金) 17:19:24.89 ID:hqw32Osv
一、永代寺門前仲町書上

           忠兵 店相撲行事
              木村庄之助

右先祖は真田伊豆守様(信之)御家来にて、中立羽左衛門と申す。年月はわからないが、御暇を願い
浪人致し、寛延年中に寺院宮地の造営の為に、御屋敷様方より力士に相頼み勘申寄り相撲と申すものを始め、
この奉加を以て、堂宮造立をしようという事があった。この時、先の中立羽左衛門より三代目に至り、
木村庄之助と姓名を相改めた。

五代目庄之助について、寛延二年八月中に、肥後国熊本に、吉田豊後守家次の孫の有ることを承るに及んだ。
この吉田家というのは、細川越中守様御家来にて、その頃吉田善左衛門と申し、職業にては追風と名乗った(吉田司家)。
禄は三百石で、元来旧家であり、往古、恐れ乍ら後鳥羽院様の相撲御節会の時、本朝相撲司御行事との勅命を
蒙った家柄であり、庄之助は熊本に罷り趣き、この御規式、御法伝を請い、門弟入りをした所、同家門弟の内、
四人を、南は日高、北は水本、西は金田、この三人の名前は現在は解らない。そして東は木村と、四姓に分けた。
日高、金田は断絶致し、水本は南部大膳大夫様御家来に、現在その子孫が有り、長瀬越後と申す。
南部の御領分に相撲興行の有る時は行事を相勤め、他国へは一切出ないという。

庄之助については、吉田家にて高弟と成り、日本相撲行事目付と定められた。この目付の意味は、以後の
節会相撲の時、東三十三ヶ国力士どもを庄之助が召し連れ上京し、行事を相勤めるように吉田家より申し渡され、
西三十三ヶ国は同家にて力士ども召し連れ相勤めるというものであった。
またこの時、吉田家より、「三代目庄之助が木村と名乗ったのは幸いである。東は春にて木を形取り、
末々に至るまで木村と名乗るように。」と申し渡された。

こうして、五代目庄之助より、代替りの時は吉田家に神文を致し、且つ免許状をその時時に相渡すという
仕来りと成った。

(相撲行司家傳)

相撲行事、木村庄之助の由来について



318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/26(金) 22:08:42.07 ID:HAHOHDcW
>>311
お兄ちゃんが絡んでるところは突っ込むところなのだろうか

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/27(土) 02:06:23.62 ID:GH8lQ5W9
中立羽左衛門に寛延(1748-51)年中の活動履歴があるなら
年齢的に幸道(1658-1727)末期から信弘(1727-36)・信安(1737-52)の時代の家臣で
信之(-1656)とは確実に絡みはないし

五代目にあたる庄之助に寛延二年の活動履歴があるなら
中立羽左衛門はそれより数十年前の人間ってことになるし
どちらかの元号間違ってるわな
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    熊本民として吉田司家の破産は残念だったな
    まだ当主本人がやらかしたならともかく、一事務員の暴走だもんなぁ
    巡業でもないのに横綱が熊本に来てくれていたのに
    いまでは吉田司家跡地にマンションが建っていて子供の頃遊んでた記憶も薄れてきた

  2. 人間七七四年 | URL | -

    羽左衛門は伊豆守より先に亡くなったんだろうか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    初代木村庄之助は寛永年間らしいから間違いかな
    架空の人物っぽいらしいけど

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/12564-aa513b15
この記事へのトラックバック