179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/07/08(水) 13:20:09.92 ID:sYb4nnxC
天正七年、岡崎三郎(松平)信康(家康公一男)が牢人された。これは信長の婿であると言えども、父家康の
命を常々違背し、信長公をも軽んじ奉り、被官以下に情けをかけず、行いが非道であったため、その旨を
去月酒井左衛門尉(忠次)を以て信長に内証を得た所、「左様に父、臣下に見限られている上は是非に及ばず、
家康の存分次第にせよ。」と返答された。
家康は岡崎にお越しになると、信康を大浜に退き下らせ、岡崎城へは本多作左衛門を移した。信康はこの措置を
当座の事と心得られていた。家康公は西尾の城に移られ、信康は遠州堀江に移され、さらに二股に移られた。
九月十五日、彼の地に於いて生害された。信康の母公も浜松に於いて生害された。
『当代記』
信康事件について。ここだと酒井忠次は家康の指示で信長の意向を尋ねたという事になっていますね。
天正七年、岡崎三郎(松平)信康(家康公一男)が牢人された。これは信長の婿であると言えども、父家康の
命を常々違背し、信長公をも軽んじ奉り、被官以下に情けをかけず、行いが非道であったため、その旨を
去月酒井左衛門尉(忠次)を以て信長に内証を得た所、「左様に父、臣下に見限られている上は是非に及ばず、
家康の存分次第にせよ。」と返答された。
家康は岡崎にお越しになると、信康を大浜に退き下らせ、岡崎城へは本多作左衛門を移した。信康はこの措置を
当座の事と心得られていた。家康公は西尾の城に移られ、信康は遠州堀江に移され、さらに二股に移られた。
九月十五日、彼の地に於いて生害された。信康の母公も浜松に於いて生害された。
『当代記』
信康事件について。ここだと酒井忠次は家康の指示で信長の意向を尋ねたという事になっていますね。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
実際は徳川の内紛だしな
起請文で信康に従うなど書かせたりしとるし
( 2020年07月08日 19:43 )
人間七七四年 | URL | -
こういうのは事件発生の時代が近いほど真実に近いことを書いているとは思う
勿論、リアルタイムだと何がなんだか分からす、後になって分かることもあるけどね
( 2020年07月09日 08:51 )
人間七七四年 | URL | -
武田さんとか斎藤さんとか見ると親子の対立やそれを担ぐ家臣間の争いで親や子が死ぬのはままあることだなー程度にしか思わんが、家康・信康の場合信長という存在のせいで色々勘繰る余地が生まれてしまうのね
( 2020年07月09日 10:04 )
人間七七四年 | URL | -
どこの家中でもわりと長男は不遇だなあ
( 2020年07月10日 13:13 )
人間七七四年 | URL | -
当主がまだ若いうちにできた総領息子だと年齢が近すぎるんだよね
後継者というより権力をめぐるライバルになってしまうパターン
場合によっては当主に異見を申し立てられる唯一の存在だったりするし
その先に主君押し込めがあるんだろうけど
( 2020年07月10日 18:24 )
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