07/09~/15のブログ拍手ランキングです!
金銀を 遣捨てたる馬揃 11
菅沼新三郎とその妻 8
加藤肥後、黒田筑前については別ですので 7
信康事件について 7
諸士は難儀に及んでいたと云々 6
信忠の中間かるき出立仕間、廿八人寒死 5
かつよりと なのる武田之かいもなく 3
高野聖誅伐 3
今週の1位はこちら!金銀を 遣捨てたる馬揃です!
信長の京都馬揃えについての記事ですね。非常に豪奢できらびやかな様子が伝わってくるとともに、最後の落書は非常に
皮肉が効いています。
馬揃えは非常に評判と成った大きなイベントで、京だけではなく近隣諸国より多くの見物が集まったと有り、正親町天皇より
アンコールを要請されるほど大いに盛り上がったとされます。しかしそんなイベントも、「これは無駄な金銀の浪費である」と、
冷めた眼で見ていた人々も居たことが、鮮やかに現されていると思います。またそう言う視点が記録されていることも大切ですね。
当時もこういう視点があったということを意識するだけでも、それに同意するかどうかは別にして、歴史の見方が複眼的に成ると
思います。そんな事を感じさせてくれた内容でも有りました。
2位はこちら!菅沼新三郎とその妻です!
こちらは、奥三河の菅沼一族のうち、家康から武田に寝返った人々の顛末ですね。興味深いのは彼らが、織田家中の中でも
河尻秀隆を頼ったという部分で、それ以前に何らかの繋がりがあったことを伺わせます。また、信長家臣のもとに逃げ込んだ以上、
裏切った者の処罰であっても家康はその身柄に手を出せず、信長からの命令を必要とした事、他にも、河尻の例からも、織田軍は
武田旧臣を弾圧したと言われがちですが、信長家臣のもとに逃げ込んだ者たちも意外と居たのではないか、なんてことも
察せられますね。そして何よりこの事で、河尻は家康に何らかの悪感情を抱いた可能性も有ると思います。当時の武士の
意識として、自分を「頼んで」逃げ込んできた者を保護しきれないというのは、周囲から「頼みがいがない」と判断される、一種の
恥辱であると考えられていたからです。
そんな様々なことを考えさせてくれる逸話だと感じました。
今週管理人が気になった逸話はこちら!加藤肥後、黒田筑前については別ですので です!
コメントにあった「黒田が年貢を全部持ち去ったのは、そもそも黒田の移転先に居た小早川秀秋が全部持ち去ったから」との
説明に「なるほどなー」と感心しました。そう考えると本当にこの光景が一挙に変わってきますね。未だ強い豊臣の権威を
ふまえた上での構図として考えたくなります。
それにしても、それぞれの関係性を基準にして他の大名との応対を細かく指示していること、細川忠興という人の個性も
関わるのでしょうが、当時の大名というものの、面目への強い拘りが見えてきます。これも本当に様々なことが読み取れる、
そんな内容だと思いました。
今週もたくさんの拍手を格逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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菅沼新三郎とその妻 8
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諸士は難儀に及んでいたと云々 6
信忠の中間かるき出立仕間、廿八人寒死 5
かつよりと なのる武田之かいもなく 3
高野聖誅伐 3
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信長の京都馬揃えについての記事ですね。非常に豪奢できらびやかな様子が伝わってくるとともに、最後の落書は非常に
皮肉が効いています。
馬揃えは非常に評判と成った大きなイベントで、京だけではなく近隣諸国より多くの見物が集まったと有り、正親町天皇より
アンコールを要請されるほど大いに盛り上がったとされます。しかしそんなイベントも、「これは無駄な金銀の浪費である」と、
冷めた眼で見ていた人々も居たことが、鮮やかに現されていると思います。またそう言う視点が記録されていることも大切ですね。
当時もこういう視点があったということを意識するだけでも、それに同意するかどうかは別にして、歴史の見方が複眼的に成ると
思います。そんな事を感じさせてくれた内容でも有りました。
2位はこちら!菅沼新三郎とその妻です!
こちらは、奥三河の菅沼一族のうち、家康から武田に寝返った人々の顛末ですね。興味深いのは彼らが、織田家中の中でも
河尻秀隆を頼ったという部分で、それ以前に何らかの繋がりがあったことを伺わせます。また、信長家臣のもとに逃げ込んだ以上、
裏切った者の処罰であっても家康はその身柄に手を出せず、信長からの命令を必要とした事、他にも、河尻の例からも、織田軍は
武田旧臣を弾圧したと言われがちですが、信長家臣のもとに逃げ込んだ者たちも意外と居たのではないか、なんてことも
察せられますね。そして何よりこの事で、河尻は家康に何らかの悪感情を抱いた可能性も有ると思います。当時の武士の
意識として、自分を「頼んで」逃げ込んできた者を保護しきれないというのは、周囲から「頼みがいがない」と判断される、一種の
恥辱であると考えられていたからです。
そんな様々なことを考えさせてくれる逸話だと感じました。
今週管理人が気になった逸話はこちら!加藤肥後、黒田筑前については別ですので です!
コメントにあった「黒田が年貢を全部持ち去ったのは、そもそも黒田の移転先に居た小早川秀秋が全部持ち去ったから」との
説明に「なるほどなー」と感心しました。そう考えると本当にこの光景が一挙に変わってきますね。未だ強い豊臣の権威を
ふまえた上での構図として考えたくなります。
それにしても、それぞれの関係性を基準にして他の大名との応対を細かく指示していること、細川忠興という人の個性も
関わるのでしょうが、当時の大名というものの、面目への強い拘りが見えてきます。これも本当に様々なことが読み取れる、
そんな内容だと思いました。
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